【消防科学総合センター理事長賞】津波災害に強いまちづくり(錦タワー)
紀勢町(三重県)
事例の概要
当町は、過去に幾多の地震災害により計り知れない被害を受けるたびに、つらい思いを重ねて復興に努めてきた。特に、昭和19年12月7日の東南海地震の大津波においては、全壊家屋447戸、半壊家屋235戸、船舶被害101隻と甚大な被害を被り、64名もの尊い生命までもが奪われるという未曾有の災害を経験した。津波被害に対する備えが称えられる近年、平成6年9月に北海道奥尻町の視察を行い、地震発生時の様子や状況、被災現場での対応、防災に対する対策や取り組み方などを拝聴の上、平成7年に地域にあった独自の防災対策の確立を図るため、住民の10人に1人が委員となる町をあげての防災対策実行委員会を組織し、実践的な防災対策の計画及び実施に取り組んできた。また、平成7年9月には兵庫県神戸市・北淡町を視察し、今後の防災施策を学んだ。
これを教訓として、あってはならない有事の際に対する備えに万全を期し、津波災害に対応した緊急避難体制の確立を図るために、津波が来襲の際、避難路の終点に避難地と避難休憩施設の整備を行った。また、河川が取り囲むようにして流れ、高台への避難コースの確保が難しい地域に、人工的避難地として緊急避難塔(錦タワー)の整備を行った。
錦タワーは、円筒形の鉄筋コンクリート製で高さ21.8mの5階建てであり、東南海地震津波の高さ6.5mを基準に、2階(8.1m)以上は浸水しない想定のもと、緊急時には500人程度避難できるスペースを確保することが可能である。構造的には大地震(震度6~7)及び大地震後に発生すると予測される津波並びに津波による浮遊船舶の衝突に耐えるよう構造設計されている。また、非常用発電機・投光器・防災器具保管所も備え付けられ、津波の際に避難・救助しやすいよう建物の外側のらせん階段が設けられている。平時の際には、1階が消防倉庫、2階が地区住民の集会所、3階には東南海地震津波被災時等の写真、防災資料の展示を行い、防災意識啓発の提供の場として整備されている。
錦タワーは、津波災害から生命を守る「安心」の塔として地域住民から親しまれ、防災意識の高揚が図られている。また、津波が来襲の際、どの場所からも5分以内に高台に避難することができるようになり、地域住民が安心して生活が営めるようになった。
さらに、以上のハード部門の整備を図ると同時に、町をあげての防災対策実行委員会の結成や、夜間避難訓練・小中学校下校時避難訓練・海上船舶避難訓練・12月7日「紀勢町防災の日」の避難訓練などの各種避難訓練、防災訓練等の防災対策の実施、また、平成9年「三重県津波シンポジウム」のパネラーとして町長が出席するなど、ソフト面においての活動も行ってきた。
このように、ハード面の整備と住民一体となったソフト面の整備の両面において積極的な取り組みを行い、地域の防災対策の育成強化を図っている。
錦タワー全景
錦タワーの断面図
錦タワー3F防災資料館
塩浜山村広場展望台からの眺め
紀勢町錦地区避難所
海上船舶避難訓練
総合防災訓練
夜間避難訓練
住民避難訓練
成果・展望
津波防災に対する積極的な整備を推進している町であり、全国的にも他市町村の模範事例となりうる防災まちづくりを実践している。中でも錦タワーは、全国的にもユニークな避難所として注目を浴びており、県内外から多くの防災関係者が視察に訪れ、テレビ局や新聞社の取材も多く、全国ニュースでも取り上げられるなど高い関心が寄せられている。
また、当町は、過去の東南海地震において甚大な被害を受けており、災害の中でも地震、津波災害が最も憂慮される。前の東南海地震から50年余りが経過し、薄れつつある津波の恐怖を再認識するとともに、第2の東南海地震に対する防災体制の確立に力を注いでいる。今後においても、様々な津波災害に強いまちづくりを推進し、「自分たちの町は、自分たちで守る」という基本理念に、老人から子供まで地域全体で安心して暮らせるまちづくりに努めるとともに、過去の津波災害による体験を風化させることなく、子や孫に継承し、住民の防災意識の高揚を図るとともに、より一層の避難体制の確立を図っていきたい。
また、地震災害に対する避難所を利用した住民避難訓練は年中行事の一つとして定着し、毎年9年と12月に実施している。他にも小中学生による下校時避難訓練、海上船舶避難訓練も実施しており、これら年4回の避難訓練を今後も継続的に実施していく予定である。
苦労・成功のポイント
将来を見据えた万が一の有事に備えた事業とは、人命・財産を災害から守る担保物件であるがゆえに、その成果に対する考え方も様々で、複雑な要素も多いといえる。
特に、全国的にも例をみない避難塔(錦タワー)の建設は、そのデザイン、規模、機能性など、斬新な要素が多く、地域住民との協議、場所の選定、その耐久性とクリアしなければならない点も数多く、なぜそれほどのものが必要なのかという意見も聞かれた。しかし、昭和19年の東南海地震による大津波で、64名もの尊い人命と大部分の財産を失うという未曾有の災害を経験した地であり、災害に強いまちづくりに対する町民の熱意が何ごとをも押し進める力となった。強度に耐震設計された単なる避難塔にとどまらず、円筒形をした外観はフォルムアップされ、平時の利用形態は集会所や災害時の写真、防災資料が展示されている資料館として幅広く利用され、町民の憩いの場ともなっている。
現在、県内外からの行政視察やマスコミからの取材など雑誌等で記載され、これまでの防災施設のイメージを変えた新しい形のまちづくりと言える。
事業年度
平成9年度~平成10年度
事業費
138,548千円
(内訳) 県補助金 20,640千円
起債(地域総合整備事業債)116,900千円
一般財源 1,008千円
団体概要
人口4,811人、世帯数1,724世帯
(平成7年国調)
施設の概要
円筒形 鉄筋コンクリート造、
5階建、高さ21.8m