【総務大臣賞】有珠山火山防災対策
有珠火山防災会議協議会(北海道)
事例の概要
有珠火山防災会議協議会(以下「協議会」という)は、昭和52年(1977年)の有珠山噴火後、有珠山をとりまく1市2町(伊達市、虻田町、壮瞥町)の防災に係る広域連携の必要性並びに将来の有珠山噴火災害に適切に対処することを目的に、昭和56年4月27日に結成された。
有珠山はこれまで周期的に噴火活動を繰り返しており、その周期は概ね30年から50年と言われている。また、有珠山周辺は開発が進んでおり、山麓にまで住民が生活している状況にあり、噴火災害が発生した場合、大規模な被害が危惧されていたところである。
このため、観光客や地域住民の生命・身体及び財産に対する被害を少しでも軽減するため、有珠火山防災計画を作成(昭和56年10月30日)し、住民周知を図るとともに、随時、その修正を行ってきた。
平成7年には、協議会設置3市町を中心に近隣自治体を含めた5市町村において、これまでの噴火災害の歴史や火山噴火における各種災害の危険区域を明らかにした有珠山火山防災マップを作成した。平常時から火山災害に対する認識や防災意識の向上を図り、災害時における様々な対応を円滑に進めることを目的に、防災マップを地域住民に配布し、火山災害に関する情報の提供を行ってきたところである。同じく平成7年10月には、1市2町において有珠火山総合防災訓練を実施し、その後、各々の市町単位で個別の訓練を実施している。このように、地域住民に対し、反復・継続した情報の提供と防災訓練を行ってきたところである。
また、昭和52年の噴火から20年たったのを機に、平成9年8月には、来るべき噴火災害に備えることを目的として、1市2町において、有珠山防災協定を締結している。
こうした日頃からの防災に対する努力が実り、平成12年の有珠山噴火においては、防災マップに基づき避難対象区域を速やかに決定し、迅速に避難行動を完了し、人的被害を防止することができた。これは、平常時から火山の素性を正しく理解し、来るべき災害に備える住民の防災意識があったからこそできたものと言える。
このように、今回の災害において迅速かつ適切な避難行動がなされ、人的被害を防止できたことは、協議会の地域住民に根ざした息の長い地道な活動があったからこそと高く賞賛するものである。
有珠山ハザードマップ
有珠山噴火
被災した公営住宅
被災したみずうみ読書の家
防災訓練
防災訓練
防災訓練
協議会による有珠山現地調査
火山防災計画協議
苦労・成功のポイント
有珠山は周期的に噴火活動を繰り返している。その周期は火山としては短いが、人間の周期で計ると長く、この間、住民の防災への意識を高く継続することは非常に困難である。それは行政の側においても同様であり、協議会としても数年の間、活動が停滞していた。
平成7年に、協議会が中心となって、ハザードマップとして防災マップを作成し、住民に配布したことから、有珠山噴火の歴史や火山災害による被害状況、居住地域の危険性に対する関心が高まった。これは、雲仙普賢岳で多くの犠牲者を出した火砕流の恐ろしさが全国的に認知されたことと、有珠山においても従前から「熱雲」として先代より言い伝えられていたこともあり、防災マップが住民に受け入れやすい環境にあったことも幸いした。
また、同年に有珠山噴火総合防災訓練を実施したことにより、その後関係市町も噴火災害を想定した独自の防災訓練を実施するなど、住民、行政が連携した噴火災害に対する防災意識の高揚に繋がった。
成果・展望
■成果
平成12年の有珠山噴火において、住民が迅速かつ的確な避難行動をすることができた。その中で、火山の直近で生活する有珠山周辺住民にとって、噴火災害時に被害を減じることが今後の課題である。
今回の噴火において、住民の迅速な避難が完了できたのも反復・継続した火山の情報伝達を防災機関が行い、住民も火山の性質を理解していたことが大きな要因である。今後も、防災マップや防災ハンドブックなどを通して情報の伝達を反復して行うことで、住民の防災意識の高揚を図る考えである。
なお、平成7年配布の有珠火山防災マップは、最大規模の被害が想定される山頂噴火を中心に危険性を周知した。過去の噴火では8回のうち3回が山麓噴火であることから、山麓噴火における危険性を住民に周知する必要があるため、現在新防災マップを作成中である。また、新防災マップとは別に、火山災害について説明をした住民に理解しやすい防災ハンドブックを作成し、住民に配布する予定である。
この他、今後はエコミュージアム整備事業等の推進により、いまだ噴煙を上げる西山火口周辺の散策路、噴火の噴石や泥流で破壊された建物等を噴火遺産として保存し、噴火災害を後世に伝えるとともに、生きた火山の体験の場として提供する予定である。
委員のコメント(吉村委員)
今回の噴火災害に際しては、噴火前にいわば警報に値する「緊急火山情報」が発表され、周辺住民の避難も完了、人的被害を防止できたのは、日本の噴火災害史上初のケースであり、まさに「災害時、情報が人の生死を分ける」ことを裏付けるものであった。有珠山が歴史的に見て、有感地震などの頻発が噴火に結びつきやすく、「嘘をつかない火山」と言われるような特有の性格を有していたとしても、人的被害を防止できた背景に、有珠火山防災会議協議会の多年にわたる努力と、有珠山研究と噴火災害の危険性の周知に努力してきた北海道大学の岡田弘教授ら研究グループの存在を見逃すことができない。協議会は、前回(1977年)の有珠山噴火後の1981年に結成されたが、災害体験の風化や観光地として火山噴火の危険性を公表したくないという思惑などもあり、結成後10年余りの間は、その活動はさほど積極的とは言えなかった。しかし、1991年の雲仙普賢岳の火砕流災害に衝撃を受けた協議会は、火山防災マップを作成して周辺住民に配布したり、繰り返し防災訓練を実施したりして火山災害への認識や防災意識の向上に努めてきた。また、噴火災害に備えて1市2町が防災協定を締結してきたことなどが、今回の迅速な避難に結びついたものと言えよう。災害に対して、行政は住民に危険を「知らせる努力」を怠ってはならないし、住民は「知る努力」を怠ってはならない。地元では、噴火災害からの復興にあたって「火山との共生」を基本的な理念に、災害体験を後世に伝承する「エコミュージアム」(自然博物館)の建設や「総合火山防災情報センター」(仮称)の整備などを提案しており、「防災まちづくり」はなお途上である。
実施期間
昭和56年~
事業費
25,100,000円
団体概要
設置市町:伊達市、虻田町、壮瞥町
関係機関委員:後志森林管理署室蘭事務所、室蘭地方気象台、胆振支庁、室蘭保健所、室蘭土木現業所、
伊達警察署、伊達市消防本部、西胆振消防組合消防本部