消防庁長官賞(一般部門)
災害に負けない・住民主体のまちづくり ~中越大震災と中越沖地震を被災して~
北条地区コミュニティ振興協議会
(新潟県柏崎市)
事例の概要
■経緯
北条地区は、柏崎市の東北端に位置し、人口3,548人、世帯数1,147戸の農・山村地である。高齢化率は36.6%となり、過疎、少子・高齢化の伸展が著しい地域である。
平成16年10月23日に発生した中越地震では、柏崎市内で最も大きな被害を受けた。この時、23の町内会で構成されていた地域を統括する防災組織はなく、被災者に対する町内会の対応はバラバラであった。
地域の防災力を問われた総代会とコミュニティ振興協議会では共同で課題を整理し、安心・安全のまちづくりに向けて防災組織を整備し、活動を見直すことにした。
■主な活動内容
- 1. 中越大震災の課題(平成16年度)
- (1)広大な北条地域(当時23町内会で構成)において正確かつ迅速な情報の収集・伝達が不可欠とされ、災害時における連絡体制の確立は急務とされた。
- ①被災当時、地区内には防災組織がなかったため、地域全体の被害把握ができなかった。
- ②中越地震で被災者が一番欲しかった物資はブルーシートと土嚢袋だった。備蓄品についての周知がなく、被害が拡大した。
- ③遠方の親戚や知人から安否確認や問い合わせがコミュニティセンターに相次いだ。市指定の避難所は3箇所あったが、町内会長ですら誰がどこに避難しているのか分からず、その確認に時間を要した。
- (2)災害時における連絡手段の確保
北条地区内は携帯電話の電波状況が悪いことから、災害時における連絡手段の確保は必須課題となった。調査・研究の結果、そのツールには防災携帯無線が一番便利で効果的であることが分かったが、莫大な費用がかかることも知った。 - (3)避難道路の新設
コミュニティセンター前の道路は狭隘なため、大型車両や救急車両等の出入りに困難をきたした。隣接して診療所もあることから、避難道路新設の必要性を共通認識とした。 - (4)その他
- ①市指定の避難所は地区内に3箇所開設された。その対応に温度差があった。また、避難所担当市職員とコミュニティ職員の役割分担が不明確だった。
- ②地元コミュニティ放送(FMピッカラ)の受信を可能になるよう要望した。
- ③生鮮食品や日用雑貨を販売する店が地区内にはほとんど無くなった。
- (1)広大な北条地域(当時23町内会で構成)において正確かつ迅速な情報の収集・伝達が不可欠とされ、災害時における連絡体制の確立は急務とされた。
- 2. 平成18 年度の取り組み(コミュニティと総代会の連携による)
- (1)自主防災組織の整備
コミュニティと21町内会(中越地震後21町内会となる)は災害時における連絡体制の確立に向け、コミュニティが災害対策本部となることを条件に、全町内会(うち2町内会は自主防災組織設置済)が自主防災組織を整備した。 - (2)災害時要援護者台帳と防災福祉マップの整備
高齢化率35%(現在36.6%)を超えている当地区の高齢者が安心して暮らせるために、要援護者と要援護者を救援する近隣の人たちに登録していただき、互いの顔の見える救援体制を整備した。手順は全戸案内チラシを配布し、手あげ・同意方式を採った。初回の登録者は31人だったが、再度、町内会長が対象者と思われる世帯を訪問、説得したところ95人登録した。併せて福祉マップも整備。コミュニティ、町内会長、市がこの情報を共有し、災害時に備えた。 - (3)防災訓練実施(10月1日)
組織をより実効性あるものにするため、全町内会や小・中学校が参加の大規模な自主防災訓練を実施した。地震規模は中越地震に準じた。 - (4)コミュニティの惣菜屋「暖暖・だんだん」の開設
過疎高齢化が進み、地区内の商店が減少しているなか、中越地震はそんな現実に拍車をかけ、地区内唯一のスーパーまでも閉店に追いやった。高齢者や障害者、車をもたない人たちから「食材を買える店がなく、日々の食事に困っている。何とかして欲しい」という声にコミュニティではこの要請に応えるために、コミュニティ住民起業室が中心となって被災した建物を借り受けて改築し、地元食材を活かした安価な惣菜屋「暖暖・だんだん」を開設した。- 開店日・・・
- 火・木・土(週三回)13:30開店
惣菜パック300円 ほか単品
- (5)コミュニティセンター前に避難道路新設
要望・陳情の結果、採択される。工事は平成19年7月から着手することが決定された。 - (6)防災携帯無線整備に向けて
平成18年度末に町内会を対象とした復興基金200万円のメニューが紹介された。全町内会がこの基金を導入し、コミュニティを基地局とした無線のネットワーク化を決定した。
- (1)自主防災組織の整備
- 3. 中越沖地震発生時の地域対応(中越地震の教訓が生かされた点)
防災訓練から9ヶ月後にまさかの中越沖地震を被災したが、これまでの取り組みが効を奏した。- (1)北条地区災害対策本部の設置:地震発生後1時間後
- (2)迅速なる被害報告:発生から2時間で集約
幸いにも地震発生から4時間は固定電話が接続していたことと、防災訓練時に短時間で行う被害報告訓練が生かされた。また、要援護者台帳に基づいた要援護者の安否確認・誘導もスムーズに出来た。 - (3)迅速・公平なる物資の配布
希望者には、段階的かつ公平に物資の支給を行った。 - (4)防災会議の開催
①7月17日/全町内会の被害状況の周知・確認。被災者、特に要援護者の炊き出し対応確認ほか必要物資等の確認をし、手配、配布に当たった。
②7月26日/「危険度判定」北条地区は対象外の報道に対して市の説明と地区の対応策を講じた。また、仮設入居条件や生活再建のための支援制度の情報等を共有し、被災者に公平な情報提供をした。
③8月6日/避難所の一本化に向けた検討会を実施した。 - (5)炊き出し
地震発生から3日間は住民や暖暖スタッフをはじめとする地元ボランティアが集まり、自発的に炊き出しを行い、スタッフは自衛隊の炊き出しが終了するまで給食体制を支えた。 - (6)NPO法人「人材バンク」の無償の救援活動
登録者の通院介助、家屋の片付け、悩み相談ほかさまざまな救援活動は全て無償で行った。
- 4. 中越沖地震後の取り組み
- (1)避難道路新設
いつ発生するか分からない災害に備え、避難道路の早期着工を再度要望した。住民の熱意が通じ、10月中旬より工事を着工し、翌年2月下旬に完成した。 - (2)携帯無線の整備
中越沖地震を被災して、情報の一元化を図るために早急なる無線整備に取り組むことを決定し、9月から調査を開始した。工事期間は12月から翌年1月末。2月10日に開催した「震災復興・スノーフェスタin北条」で、コミュニティ(基地局)と全町内会に防災携帯無線を整備したことを地区民にお披露目した。 - (3)復興イベントの開催
「絆」と銘打って、震災を伝承するイベントを毎年、開催した。 - (4)コミュニティ組織の見直しと北条地区コミュニティ復興基本計画の策定
2回の地震を経験して更に災害に強いコミュニティづくりを推進するため、北条地区災害対策本部としての課題を整理して、本部としての役割、平時及び災害時における地域内外の連携の在り方について、運営シナリオを作る等についてワークショップを開催し検討している。地域の本部として、更に高度化を図るためまちづくりを具体化する基本計画を策定した。 - (5)地域コミュニティーブログの開設
地域独自でブログを立ち上げて、各集落の通信員が携帯電話から入力し、北条地区の情報を収集・発信する予定である。情報は防災マップに転送され、視覚化することで日常的に防災意識が高まるとことを期待している。 - (6)防災訓練・コミュニティ惣菜屋の充実
地域で行う防災訓練を地元小学校と共同で催した。また、コミュニティ惣菜屋「暖暖」で宅配を始めた他、地域交流サロンを設けて地域の連携を更に深めることとした。
- (1)避難道路新設
- 5. 2回の地震から学んだこと
- (1)これまでのコミュニティ活動(様々な課題に取り組み、多くの住民が地域づくり活動に携わってきたことで、地域のことは自分たちの手でという意識が醸成された)によって培われた地域の絆や助け合いの精神が大きな支えになってくれた。
- (2)2回の避難所運営で被災者にとっては、普段の顔が見えるだけで安心することが分かった。自分たち(被災者)の気持ちが分かり、愚痴も聞いてくれる身近な地域の人であることが重要である。
防災訓練開会式
訓練での被害状況の記入
要援護者の到達(訓練にて)
応急救護訓練
助け合いセンター設立総会
無線のお披露目(スノーフェスタにて)
無線の取り扱い説明
毎月の無線感度試験
高齢者弁当宅配
苦労した点
「コミュニティは地域のためにある」との責務を感じて平時から活動をしている。また、北条地区はコミュニティと町内会が日ごろから連携して活動していることもあり特別に苦労したという感覚はない。地域の方は、困ったときはコミュニティが助けてくれる。それが、地域の繋がりやお互い様の精神を更に深めてくれる。
しいて挙げるとすれば、個々の自主防災組織での運営体制の強化が課題で、例えば、会長がいない場合に本当に機能するのか、情報連絡体制は大丈夫かなど平時の訓練を継続していくことである。
特徴
【地元コミュニティでの避難所運営】
避難所の開設・運営は市が行うが、市職員は交代で派遣されるため、中越地震時は職員によって避難者への対応に温度差が見受けられた。そんなことから、北条コミュニティ振興協議会では中越沖地震の発生に伴い地区災害対策本部を開設。地域のことは自分たちの手でという考えのもと、市と協力して避難所運営を行った。
行政への総合窓口となるべく役職員が対応に当たり、避難所担当の市職員と地元コミュニティの役割を明確にした。具体的には、
- (1)全町内会の被害状況を収集し市に伝達、逆に市災対本部からの情報を全町内会へ周知・伝達
- (2)支援物資の取りまとめ・調達・配布
- (3)地区内3避難所の対応及び避難者の悩み相談
- (4)発生直後3日間の炊き出し
- (5)自衛隊及び市の炊き出しの配食及び食数の調整
- (6)仮設住宅希望者の取りまとめ
- (7)ボランティアの受付、視察対応、仮設トイレ及び館内清掃等
このように、地元コミュニティが避難所運営に協力することで、スムースな避難所運営を行うことが可能となった。避難者も地元スタッフの顔が見えるだけで安心し、悩みやわがままを聞いてもらえるなど、避難者が安心して避難できる環境を作ることが出来た。
また、避難所運営では避難者のプライバシーの確保、食中毒対策等に気を使った。特に、炊き出しや救援物資の配布については、避難所に足を運べない人たちへの配慮を行った。
委員のコメント(防災まちづくり大賞選定委員 吉村 秀實(ジャーナリスト))
新潟県柏崎市の北条地区は、新潟県の東北端に位置し、人口は3,548人だが、高齢化率が36.6%。近年、過疎化や少子・高齢化が著しいというから、日本各地に見られる典型的な中山間地である。北条地区は、2004年10月23日に起きた「新潟県中越地震」(M=6.8)で、震度6強の激しい揺れに見舞われ、死者はなかったものの、全半壊家屋は100棟以上に上り、JR信越線が不通になった他、道路や上下水道が各所で破損し、12世帯が長期間にわたって仮設住宅暮らしを余儀なくされた。北条地域は、震災当時に自主防災組織がなかったため、地域全体の被災状況が把握できず、県や市との緊急時の連絡体制も十分でなかったため、いわば“陸の孤島”的な存在となってしまった。北条地区の総代会とコミュニティー振興協議会は、この地震が残した数々の課題を整理し、21の町内会に自主防災組織を整備するなど、地域の防災力の強化に乗り出した。特に注目されるのは、「災害時、情報が人の生死を分ける」という教訓をもとに、災害対策本部となるコミュニティーセンターを基地局とし、各町内会とを結ぶ無線ネットワークが整備されたことである。そして、高齢者が安心して暮らすことができる地域を目指して、災害時に援護を必要とする人たちと、こうした要援護者を救援する近隣の人たちに登録してもらい、災害時要援護者台帳と防災福祉マップを整備した。こうした防災対策を進めているさなかの2007年7月16日、「新潟県中越沖地震」(M=6.8)が発生、北条地区は再び震度6強の揺れに見舞われたが、中越地震で被害を受けた箇所は、その後の耐震補強工事によって被害は軽減された他、地震発生後1時間で災害対策本部を設置、発生後2時間で北条地区の被害状況を把握することができた。特に、要援護者の安否の確認や避難誘導もスムーズにできたという。この二つの地震によって、地区内唯一のスーパーマーケットが閉店に追い込まれ、コミュニティー振興協議会では高齢者や障害者などからの要望にこたえて、センター直営の安価な総菜屋兼食堂「だんだん(暖暖)」も開店、地域のコミュニティーの場としても重宝がられている。会長の江尻東磨氏は「いざという場合、行政は殆ど頼りにならないことに気付いた。自分の身は自分ないし家族や地域で守る他はないが、防災や減災対策は、実際に被災したものでないとやる気が起きないところが難点で、何よりも粘り強さが不可欠だ」と指摘している。
団体概要
北条地区内の諸機関・団体・サークルなどで運営協議会を組織し、市から管理運営を受託。会長・副会長・事務局以下専門部で組織を構成しており、文化サークル、体育、広報、学習・育成、地域づくり活動などを行っている。
- (1)人口 3,548人(平成21年3月末日)
- (2)世帯数 1,147世帯
- (3)高齢化率 36.6%
- (4)町内会数 21町内会
実施期間
平成16年~