第08回防災まちづくり大賞(平成15年度)

【総務大臣賞】自主防災組織による避難路建設

【総務大臣賞】自主防災組織による避難路建設

Vol8-006-009Map

大水崎自主防災組織 (和歌山県西牟妻郡串本町)

事例の概要

■経緯

 串本町は本州最南端に位置する町で、南海地震が発生すれば5分~10分で津波が来襲する。和歌山県では地震発生から最も早く津波が来襲する町の一つである。その中でも、大水崎地区は昭和43年に町が埋立造成をしてできた新しい地区で、地区の東側は海に面し、そのほとんどが海抜3メートル以下の土地であるため、町内で津波被害が最も心配される地域である。
 地震が発生して津波が来襲する恐れがある場合には、避難場所に指定されている地区西側の山頂にある総合運動公園まで登っていくことになるが、避難路は地区の一番南側にある町道1本しかなく、遠い住民では避難場所まで約15分かかるため、もっと早く避難できる避難路がどうしても必要であった。
 また、平成7年に町内で開催された北海道の奥尻町長の講演会を聴いて避難路の重要性を改めて感じ、地震が起こったら一番近い高台へ逃げられるようにと自主防災組織で津波避難マップを作り地区住民に配布した。その活動の中で、住宅地から安全な高台までの間にはJRの線路及び湿地帯があって避難しにくく、何らかの対策が必要との課題が浮き彫りになってきた。

■内容

  • 1.避難場所の周知
     地震が起きればすぐに津波がやって来るため、地区住民に地震イコール津波であることを認識してもらい、自宅から一番近い高台へ逃げるよう啓発するため、自主防災組織が作った津波避難マップを全世帯に配布した。
  • 2.自主防災組織による避難路建設
     役場に対して何度も避難路整備の要望を行ったが、JR線路を横断しなければならないこと等から避難路整備はなかなか進まなかった。そのため、町に頼るのではなく自分達で避難路を作ろうと、平成11年に区の予算から10万円の予算を支出して避難路の設計を行うとともに、その建設に着手した。その後、40万円の費用を追加支出し、2年をかけて、自主防災組織自らがボランティア作業により、枕木などを使って海抜約10メートルの高台まで速やかに避難できる避難路を完成させた。また、平成12年には災害図上訓練(DIG)などを実施し、避難路の重要性を地区住民に認識してもらう努力をしながら、避難路の改良を続けた。
  • 3.串本町の避難路整備
     平成14年度には、地区住民が作った避難路からさらに高台へと避難できる避難路を町が整備した。これにより、指定避難場所である総合運動公園まで約15分かかっていた時間が、約5分に短縮された。また、平成15年度には、夜間でも避難しやすいように、避難路沿いに停電しても2時間は電気がついて足元を照らす蓄電池式の非常灯を5基整備した。
  • 4.津波避難訓練
     平成14年11月13日には、第1回目の和歌山県沿岸21全市町一斉の津波避難訓練が実施され、地区住民156名が訓練に参加し、自分たちが建設した避難路を使って避難した。
  • 5.避難路の維持管理
     避難路建設後は、年間に3~4回自主防災組織が草刈、点検等を行って、いつでも避難しやすいように維持管理を行っている。

vol8-006-009-p1

コンクリート性の避難路

vol8-006-009-p2

コンクリート性の避難路

vol8-006-009-p3

住民による手作り部分

vol8-006-009-p4

手前の部分は住民による手作り。奥のコンクリートの部分は町が整備。

vol8-006-009-p5

避難路全景

vol8-006-009-p6

避難路入り口の広場

vol8-006-009-p7

避難路入り口

vol8-006-009-p8

避難路看板

苦労した点

  • ・ 避難路建設に当たって、どうして役場ではなく自分達で避難路を建設しなければならないのかということについて、地区の理解を得なければならなかったこと。
  • ・ 現場がJRの線路を横断しなければならないことから、建設作業は危険と隣り合わせであったこと。
  • ・ 現場が湿地帯であったことから、作業が大変しにくかったこと。
  • ・ 建設後、避難路を近道として利用する人があり、電車が緊急停車したこともあった。今後、日常の安全管理対策を考えていかなければならない。

特徴

  • ・ どうしても行政に依存しがちな防災対策であるが、住民が率先して防災のミニハード対策を行ったところ。
  • ・ 行政で整備しづらい避難路であれば自分達で作ろう、と住民自ら建設したことで町による避難路整備に結びついたところ。
  • ・ 避難路建設を通して地区住民の防災意識を向上させるとともに、串本町における防災対策のシンボル的な存在となって、町民の地震津波に対する啓発にも大きな役割を果たしているところ。

委員のコメント(防災まちづくり大賞選定委員 長澤純一(独立行政法人消防研究所理事))

 まだ一月というのに本州最南端の串本町では春めいた日差しと穏やかな海が訪問者を迎えてくれた。しかし、この町に住む人々には常に津波の不安がつきまとう。「行政の情報を待っていられない。津波の時はまず逃げること」。昭和21年の南海地震を体験した夛屋さんらの口ぶりから自分の身は自分で守るという気概が伝わってくる。平成5年の北海道南西沖地震の後奥尻町長の講演を聞き津波対策用避難路の必要性を痛感した大水崎地区住民は、町への陳情を繰り返すが、なかなか取り組んでもらえず、ついには自らの手作りによる建設に踏み切る。このために組織した避難路整備推進実行委員会は、やがて町の示唆もあり串本町第一号の自主防災組織へと発展する。
       当初、住民の間には地区会費を使うことについて異論もあったようだ。避難経路にはJRの線路、マムシの出没する湿地帯があることなど悪条件も重なる。しかし、雑草を刈り、枕木を運び、防虫剤を塗り、セメントをこねているうちに住民の結束は固まっていった。ついに平成13年6月、地区直近の中核部分が完成する。
       この熱意と実行力が平成13年10月「出前町長室」で陳情を受けた若い田嶋町長の心を動かす。実は奥尻町長を講演に呼んだのは、青年会議所理事長時代の現町長だったのだ。町は、その後約500万円かけて山側の避難場所に続く階段等を整備した。太陽電池式避難標識には宝くじ助成事業も活用されている。
       自分の身は自分で守る。そのために避難路まで自らの手で作ってしまったという点がこの地区の最も評価すべき点で、他の模範となる点だ。今では大水崎地区に刺激されて自主防災組織が他に5地区誕生した。「不便より安心を」と高台への住宅建設も進んでいる。明治23年トルコの軍艦エルトゥール号難破の時献身的に救助活動をした住民の血を脈々と受け継ぐこの町のこと、住民手作りの防災対策の輪はますます広がっていくことだろう。

団体概要

 大水崎地区  人 口:700名  世帯数:316世帯  (平成15年7月31日現在)

実施期間

 平成11年~平成13年