平成11年9月21日台湾地震災害

個別活動状況(5)

台湾地震災害

地震の概要 被害状況 派遣要請 派遣期間等
派遣隊員等 活動概要 主な救助活動資器材
検索活動状況 活動完了 派遣別の内訳
個別活動状況(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
今回の派遣の特徴

11. 個別活動状況

(5) 9月26日 M6.8の余震発生とその後の活動

 日本隊は昨晩、台中市内で4ヶ所の宿舎に分散して宿泊した。26日朝、7時52分、それぞれが出発準備を整えていた時、大きな余震に見舞われた。情報によると震源は日月 付近でマグニチュード6.8、震源の深さ33km、南投県では震度6であった。この地震で台湾全土で5名の方が死亡した。
 全隊集結完了した4つ目の宿舎の駐車場において、余震被害の同時多発に備え、要請の都度、1個中隊を自己完結型で出場できる体制を整えた。人員バスと資材トラックのペアを1個中隊とし、ボーカメ、救助ロープ、簡易救助資機材等の共通資機材を3つに分け、3個中隊にそれぞれ積載し、シリウスを第1中隊に積載して「検索強化型中隊」とし、大型削岩機を第3中隊に積載し「破壊活動強化型中隊」、第2中隊を「標準型中隊」として特徴を持たせ、救助現場の状況に合致した中隊を出場させることとした。日本の外務省からは待機要請が入り、台湾の副総統からは、日本隊とアメリカ隊は、余震被害の発生に備え、台湾での活動を続行されたしとの要請が入った。
 派遣隊本部に、台中県大里市金巴黎(キンバリ)のマンション倒壊現場で活動中だったフランス隊が余震の際に落下してきた瓦礫で怪我をした、との情報が入ったことから、現地時間10時45分、情報収集と応援活動のため第1中隊が出場した。11時20分現場に到着し、フランス隊と接触したところ、3名の隊員が受傷したとのことであった。現地対策本部やフランス隊の隊長から、倒壊の危険が大きいため、これ以上活動する予定はないとの回答があり、12時、第1中隊はこの現場を引き揚げ、携帯電話により派遣隊本部に状況報告したところ、今度は、昨日活動した台中県東勢鎮のマンション倒壊現場で、地下にまだ要救助者2名おり、ロシア隊が応援を求めているとの情報に基づき、転戦命令がかかり、再び第1中隊は東勢鎮に向かうこととなった。13時05分現着し、ロシア隊と接触したところ、情報とは異なりすでに撤退準備を始めており、大型クレーンも撤退し、地元の重機により取り壊し作業に入る直前となっていた。派遣隊本部に報告したが、以降、第1中隊は、派遣隊本部命令により東勢鎮災害対策本部での情報収集を行った後、台北県台北市の松山ホテルの救助現場に向かった。
 第3中隊は台湾政府からの事前の要請に基づいて、台北市にある警察大学校に向けて出発し、日本隊が保有する救助資機材の展示説明・取扱指導等の技術援助を行うこととなっていた。

フランス隊が活動中にM6.8の余震現場

警察大学校での技術援助

 14時20分、派遣隊本部と第2中隊は松山ホテルに到着し、現地対策本部に出向き情報収集とともに応援活動の申し出をした。現場はすでに重機により掘削や瓦礫の除去が行われ、建物の原形をとどめておらず、大量の鉄筋の山となっていたが、台北市消防局による検索活動は継続されていたことから、第2中隊は夕刻、活動統制が入るまでボーカメ等を活用した検索活動を行うこととした。警察大学校に到着した第3中隊も派遣隊本部命令により展示、指導等の要員5名を残して、松山ホテルに転戦し15時30分到着の後、情報収集と第2中隊と交替しながら検索活動を行った。活動統制が入った後も、日本隊は全ての救助資機材降ろし、隊員を交替で現場待機させ、応援要請があれば即、活動に着手できる態勢をとった。20時、第1中隊も松山ホテルに到着し、現地対策本部にボーカメとシリウスを展示し、応援要請に備えつつ、機器の説明もできるよう準備した。この夜は、3個中隊が交替でこの態勢をとることとしたが、22時30分過ぎ、台北市消防局副局長が来られ、日本隊の誠意に対する理解と感謝の意を表明し、日本隊の引き揚げを促した。

災害現場で日本の救助隊の存在を示す日の丸

消防局副局長から御礼の言葉