パキスタン・イスラム共和国地震災害
地震の概要 被害状況 派遣要請・出発 派遣期間等
派遣隊員 活動の詳細(1) (2) (3) (4) (5) (6)
捜索救助活動中の環境 国際緊急援助の課題
おわりに
6.活動の詳細
今回の派遣先であるバトグラム村は、日本で入手可能な地図では場所や地名の特定が難しいほど辺境地であることから、当然、ホテルのようなものはなく、少し離れたところにあるホテルらしき施設も地震で営業を中止していました。
ゲストハウスの隣はグランドになっていましたが、パキスタン軍から「囲いがない平坦地での野営では警護が難しく安全が保証できない。」と言われたため、我々はゲストハウス周囲の狭い庭にテントで野営のベースキャンプを設置しなければなりませんでした。
そのテントも到着が若干遅れ、テントが建てられたのは活動初日の10日20時半頃で、さらに、初日の夜には寝袋が届かなかったため、1人1枚ずつの毛布にくるまり、内陸部であるため夜間は1桁台まで気温が下がる中で寒さに震えながら浅い睡眠を取りました。
国際緊急援助隊のベースキャンプ
食料については、我々にも安全な食事を現地で調達することは難しいため、体調を崩さぬよう、持参したアルファ米とインスタントみそ汁、缶詰、レトルト食品、カップ麺がメインでした。持参した食物が途切れないよう、朝食で現地の黒みがかったパン等も食べましたが、もの悲しくなる味でした。
最も困ったのはトイレとシャワーでした。ゲストハウスにはトイレが2つあり、着いた直後には溜めた雨水を流すことができましたが、すぐに枯れ、トイレ自体もすぐに詰まるため、可能な限り流量を減らす必要がありました。
シャワーなどの入浴設備は当然ないので暫くは我慢し、井戸も現地住民が並んでいて使えないとのことだったので、遺体を搬出した4日目にミネラルウォーターを大事に使って粉塵と汗を流しました。(なお、出発後6日後の10月14日にイスラマバード近郊のホテルで初めてシャワーを浴びることができました。)
このように、住居・食料・衛生面で過酷な環境であったと思われますが、国際緊急援助を行うためにはこの程度の環境は当然であるかのように順応し、目立った体調不良も起こさなかった隊員の皆さんの屈強さには感心させられました。
湿って酸っぱい現地の黒パン