平成17年10月9日パキスタン・イスラム共和国地震災害

活動の詳細(2)

パキスタン・イスラム共和国地震災害

地震の概要 被害状況 派遣要請・出発 派遣期間等
派遣隊員 活動の詳細(1) (2) (3) (4) (5) (6)
捜索救助活動中の環境 国際緊急援助の課題
おわりに

6.活動の詳細

(2)捜索救助活動1日目(10/10午後)

 臨時へリポートから約15分徒歩で移動し、ベースキャンプとなるバトグラム村のゲストハウス(日本の感覚では小さな村の集会所)に到着しましたが、ゲストハウスの建物も地震で亀裂が入っており、余震で崩壊するおそれもあることから、その周囲の狭い庭にベースキャンプを設置せざるを得ませんでした。
 到着後直ちに全隊で捜索救助活動を展開したかったのですが、事前に現地の情報が収集されていなかったため、まず、パキスタン軍及び村の責任者等の住民から聴き取りを行った上で、先遣隊が活動候補サイトに調査に赴く必要がありました。
 近隣で要救助者の可能性があるのが、バトグラム村中心の地区本部病院の建物(前・中央・後の3つの病院建物のうちの前・後)と、ベースキャンプから車で10分弱のチャパルグラム集落であるとの情報を聴取して、先遣隊が調査に向かいました。
 ベースキャンプに戻った先遣隊からの報告によると、チャパルグラム集落の住宅は主に木と土で建てられており、地震によりほぼ崩壊して多数の死者が出ているが、建物の材質から瓦礫が密に堆積し隙間が生じておらず生存者の可能性は極めて低く、かつ、住民から特定の救助要請もなかったとのことでした。その時点で埋まっている人数については情報に開きがあり、多くて10人という話と極めて多数という話がありました。
 一方、地区本部病院はコンクリート造のため崩壊しても比較的隙間が生じやすく、仮に人が下敷きになった場合でも生存の可能性があると考えられました。ただ、既に要救助者はないという情報と、何人かは残されているはずだという情報が錯綜していました。
 生存者救出が我々の任務であることから、まずは地区本部病院(前=第1現場)で捜索救助活動を行うことを決定し、15時過ぎ(発災後約54時間)に活動を開始しました。

チャパルグラム集落の惨状

地区本部病院(前)での捜索救助活動

 救助活動を行いながらも、要救助者の可能性がある別のサイトについても並行して調査をする必要があります。その頃、住民から「ベースキャンプから車で30分程度離れた谷沿いのコートクェラ集落でも要救助者がある。」旨の情報を得たため、私たちは、パキスタン軍のジープで現地に向かいました。途中の崖沿いの狭い道は、所々路肩が深い谷に向かって崩れるなど走行に転落の危険を伴いましたが、16時30分頃に何とか現地に到着しました。
 コートクェラ集落は、申し訳程度の鉄筋の入ったコンクリート造の建物が折り重なるように崩壊しており、我々が立っている場所が地面なのか、崩壊した建物の屋根なのかも判然としない状況でした。地元の住民は、40人程度が死亡し、何人かは手足を切断したと伝えました。我々が到着した際にも1遺体が崩壊した住宅の下から搬出されている最中であり、その奥にも2人が下敷きになっているが死亡は確実とのことでした。
 ベースキャンプに戻り、地区本部病院(前)での捜索救助活動の状況を聞きましたが、要救助者の兆候はないとのことであり、投光器などの到着も遅れていたことから、キャップライト等の照明による捜索も19時13分頃に中断しました。