バングラデシュサイクロン災害
はじめに バングラデシュサイクロン災害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
隊員の手記から
3.行動日程
国際消防救助隊の行動日程は表のとおりである。
成田出発は第1陣と第2陣にわかれて出発した。第1陣はダッカ到着後2班に分かれ、第1班はBD国大統領官邸のサイクロン災害の救援活動対策本部へ挨拶を行い、BD国軍司令部で被災状況の説明を受けた後、政府及び軍と協議し、日本隊の救助活動の拠点をチッタゴンに置きBD国政府の指示のもとで救援活動を行うことにした。
第2班はダッカ空港の施設や資器材活用について、ビーマン航空から確認した。
ヘリコプターを積載したチャーター機のカーゴからヘリコプターを降ろすMDL(重量荷物積降装置)、ローダー、ハンガー(屋根付駐機場)、ドーリーの借用や確認を行った。
しかし、ダッカ空港には大型のMDLがなく、ヘリコプターを降ろすことに大変苦慮した。
幸運にも建築現場に大型の50tクレーンを見つけ、急遽これを借用することにした。
活動準備体勢から難問が待ち受けており、前途多難であると気をひきしめ先遣隊としての重要性をさらに認識したのである。
5月17日8時13分、ヘリコプターを積載したオランダ航空のジャンボカーゴはダッカ空港に到着した。
調達した50tクレーンを活用してのヘリコプターの荷降ろし作業は、整備士を中心として炎天下6時間に及んだ。
ヘリコプター2機と活動資器材等大量の資材は、ハンガーに無事格納された。
第2陣は第1陣より2日おくれて成田を出発した。ダッカで第1陣と合流して、ヘリコプターの組立作業に加わり、現地での救援活動が本格的にスタートした。
今回の派遣活動の中心は、チッタゴンを根拠地として周辺の孤立した島々に救援物資を輸送することであり(図参照)、ヘリコプターのフライト回数は100回にも達し、日本の赤いヘリコプターは、現地の人から「赤い神様」と言って感謝された。
約10日間のチッタゴンでの活動のあと、気象的にモンスーンの時期であること、隊員も疲労していること、ヘリコプターの整備や運航時間(「おおさか3」はダッカ引き揚げ時法定点検まで5分を残すのみであった。)等を総合的に判断し、1日の余裕をとり5月31日にチッタゴンを引き揚げダッカへ移動することにした。
日本隊引き揚げに際しては、多くの方々から賞賛と感謝の言葉を頂きうしろ髪を引かれる思いであった。
待ちこがれていた救援物資の荷降しを手使う現地の人々
帰国に際して、国際緊急援助隊に慰労と感謝の意をあらわす米軍司令官
また、ダッカに引揚げてきたとき、日本人学校の生徒達が心から労をねぎらってくれた。
月 日 | 時 間 | 活動内容 |
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5月15日(水) | 19:50 (日本時間) |
第1陣成田出発。 |
5月16日(木) | 10:50 | 第1陣ダッカ空港着。 関係方面との調整開始。 |
5月17日(金) | 8:13 | マーティ・エアの貨物機ダッカ空港着。 |
9:00 | 荷おろし作業開始。 | |
12:25 (日本時間) |
第2陣成田出発。 | |
15:20 | 荷おろし作業完了。ヘリコプター組立作業開始。 | |
23:25 | 第2陣ダッカ空港着。 夜を徹してヘリコプター組立作業。 |
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5月18日(土) | 5:30 | 先発隊が陸路チッタゴンへ出発。 |
7:30 | 救助隊が陸路チッタゴンへ出発。 | |
11:30 | ダッカ空港内で“かもめ”組立完了。 | |
13:30 | “かもめ”テスト飛行。 | |
13:50 | 先発隊チッタゴン到着。関係方面との調整開始。 | |
19:50 | 救助隊チッタゴン到着。 | |
5月19日(日) | 11:30 | 大阪ヘリ組立完了。 |
15:00 | ヘリコプター2機、ダッカ空港からチッタゴン空港へ出発。 | |
16:15 | ヘリコプター2機、チッタゴン空港着。 | |
5月20日(月) | 13:15 | ヘリコプターによる輸送開始。 |
5月21日(火) ~ 5月30日(木) |
輸送フライト中心の救援活動。 | |
5月31日(金) | 9:50 | ヘリコプター、チッタゴン出発。 |
11:00 | ヘリコプター、ダッカ着。 | |
6月1日(土) | ヘリコプター解体作業。 | |
6月2日(日) | 資機材梱包作業。 | |
6月4日(火) | ヘリコプター積込。 | |
6月5日(水) | 12:10 | ダッカ出発。 |
6月6日(木) | 6:13 | 成田着。 |