バングラデシュサイクロン災害
はじめに バングラデシュサイクロン災害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
隊員の手記から
1.バングラデシュサイクロン災害の状況
1991年(平成3年)4月29日から30日未明にかけて襲ったサイクロンは、死者138,868人にも達し、流出・破壊した家屋も120万棟以上と、5月15日バングラデシュ国政府(以下、BD国政府という)は発表した。
しかし、30日の現地新聞は、50万人の死者が発生した1970年のサイクロンよりも被害は大きいとも報じていた。
被害を受けたのはベンガル湾沿岸や離島の農村地域のため、国勢調査はおろか戸籍も十分に管理されておらず、細部にわたる実態把握は困難なようである。
サイクロンはバングラデシュ南東部の沿岸地域を最大風速65mの猛烈な暴風と6~7mの高波が数時間にわたって襲った。
沿岸や離島に広がる田んぼは海と化し、ここに点在する集落は吹き飛ばされ、住民の多くは避難することもできず無防備の状態でこの犠牲になってしまった。
かろうじてシェルターに逃げた人や椰子の木にしがみついて助かった人達も、サイクロンの去った瞬間から生きることの厳しさが待っていた。
道路はいたるところで寸断され、孤立化した村や島々の壊れた家屋の中や付近一帯に犠牲者や山羊、牛等の家畜の死体が散乱している事態となった。
食糧等も全て流され、衣食住全ての救援を待たなければならず、疫病も心配された。
被害状況の把握は被災地に入る交通手段の途絶と通信施設の破壊によって迅速・的確な情報は収集できなかった。
被害は人的や家屋等にとどまらず、農作物は稲作を中心に被害地域の50~100%に及んだ。また、水産関係ではコックスバザール周辺のエビ養殖施設は全滅状態で、ベンガル湾の魚舟等は100隻以上が沈没し、陸に打ち上げられた大型船も数十隻に及んだ。