イラン地震災害
はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)
7 総括官日誌による補足
(5)帰国へ
a マンジールを経てテヘランへ
ピルク出発7:35AM。マンジールに抜けるより近くて道も良いラシュトへ出る。
医療チームのいるラシュトのケシュマト病院に11:40AM着。昼食後マンジールヘ。
マンジールで撤収作業。6:00PMマンジール発。テヘランのエステグラルホテル着10:40PM。
ホテルで5日ぶりの入浴。生き返る。「ビールが飲みたい。」
b 各国隊の様子
日本以外で救援チームを送って来たのは、把握している限りでは、英、仏、スイス、スペイン、キューバ、イタリア、ソ連、アゼルバイジャン、バクーの9隊(このうち、アゼルバイジャンとバクーは救急車十数台を含む医療班中心の大部隊で、陸路救援に来ている。「ソ連チームか」との問いに「ノー」と答えるところがおもしろい)。
29日(金)にマンジールに着いた時点では、マンジールに残っていたのはスペインの医療チームと、テヘランで足止めされていて遅れて着いたソ連の医療チームのみ。日本チームのテントはソ連チームに提供した。
救助チームで生存者の救出に成功したのは(把握する限りでは)皆無。
c 特記事項
ピルクで放水作業中の28日(木)5:00PMごろ、イラン外務省の情報文化局の担当官が広報やニューズウイークの女性カメラマンと共にヘリコプターで視察に来た。作業がちょうどクライマックスだったので、よい写真になったと思う。
担当官から、改めて感謝の意を表される。
護衛の兵士(革命委員会所属)や運転手(聖戦建設隊所属)とは、奥地で共同生活を送ったため、すっかり意気投合。
彼らも日本チームと一緒に救出活動ができることを誇りに思っている様子。何くれとなく世話してくれた。
水や食糧は、結果的には豊富。ただし、カップラーメンとかんづめの食事ばかりでうんざり。運転手たちが作ってくれたイラン料理がいろどりを添えた。感謝。
d 最後に
「今度はビールの飲める国に行きたい」とは、全員一致の感想。
フランクフルトでビールを飲むことを唯一の楽しみにして働いてきたのに、帰りは北京経由の直行便でしかもビールの飲めないイラン航空とわかり、一同ガックリ。