平成2年6月22日イラン地震災害

総括官日誌による補足(2)

イラン地震災害

はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)

7 総括官日誌による補足

(2)テヘランからマンジールまで

a 現在の状況

予定より約1時間遅れて、24日0:30過ぎテヘランに無事到着。所要時間31時間。特命全権大使斉藤邦彦氏の直々の空港出迎えに一同ビックリ。
機材チェックに2時間かける。全て完備を確認。
ホテル着2:30AM。(ESTEGHLAL HOTEL。)
斉藤大使を中心としてミーティング(2:40AM~3:30AM)。
解散して、明朝8:00集合を確認。

b ミーティングの内容

非公式発表で死者8万人超(後に5万人程度とわかる)。現地大混乱。(テヘランは平常通り。)
レスキュー・チームは最も被害の激しいギーラーン州ルードバールに行って欲しいとのイラン政府及び赤十字の要望あり。明朝(24日)10:00からの赤十字のハビビ空港本部長と大使館及びレスキューチームとの打ち合せで決める。早ければ午後にも現地入り出来る。
現地は水・食糧事情極めて悪く、宿舎もないため、テントで野営することになりそう。
道路寸断のため、軍の飛行機で現地に入る。
応援については、大使館とイラン政府の打ち合せで決める予定。
ルードバールとテヘランの間は電話が不通のため、東京との連絡はしばらく難しい。救援物資輸送の飛行機に手紙を頼み、大使館経由で電報でやりとりすることになる見込み(余り当てにならないと思う)。
医療チームはテヘランに残って、病院で重傷者をみて欲しいとのイラン側の要望。
総合チームとしての活動のやり易さと隊員の安全を考え、「出来れば一緒に」と要望する予定。

c イラン政府の対応と外国チームの様子

当初、「援助して欲しいのはクレーン、ブルドーザー等の重機類で、医者やレスキューチームは余り歓迎しない」との複数の報道があり心配したが、被害が予想より極めて大きい為か、「どの様な援助でも喜んで受け入れる」と23日(土)午後、イラン政府として公式に表明とのこと。
フランス:医療チーム45名活動開始。レスキューチーム180名(犬18匹)未だテヘランに滞在。現地入り出来ず。
イギリス:レスキューチーム(超音波探知機、赤外線カメラ等携行)17名。現地入り出来ず。
ソ連:医療チーム活動開始。
その他の国については、続々到着中だが詳細はわからず。
レスキューチームは、各国とも現地入り出来ていない模様。

d 特記事項

消防、警察12名の制服が目立つため、日本チームは飛行機内・空港でも注目の的。日本人旅行者等からも「今回は対応が早かった。誇りに思う。」「頑張って欲しい。」と言われる。外国人からも激励多数。
イラン航空では、日本チームのため二階席を専用にする破格の扱い。
ESTEGHLAL HOTELの費用もイラン政府が出してくれる等、歓迎してくれている。
機材をトラックに積み込み中の1:30AM過ぎ、飛行機出迎えのイラン人多数の中から母親と幼女が花束を贈呈してくれた。チームを代表して外務省の富永団長が受けとる。一同大感激。
消防チームは、エルサルバドルの経験と、レスキューに関する精鋭がそろっているため、レスキューチームの中心として活躍している。頼もしい限り。
日本チームの全体のチームワークも上々。
24日午後にも、交通・通信が途絶し水・食糧事情が厳しい現地(ルードバール)に入る可能性大。


24日(日) 10:00 イラン赤新月社において活動地域及び移動方法について打ち合わせ。なかなか決まらずイライラ。
隊員は大使館において救助資機材のチェック。
18:50 イラン空軍の軍用機でラシュトに向け出発。軍用機はアメリカ製のC130輸送機。二度と乗れない貴重な経験だが、軍施設内は写真禁止。
残念。
19:40 ラシュト空港着。空港外には負傷者収容のテント。空港内は消毒薬の臭い。けが人と避難民でごったがえす。「いよいよ現地」と緊張。
21:35 バンダル・アンザリー市のセフィド・ケナールホテル到着。
他国の救援チームと同宿(フランス、スイス、アゼルバイジャン)。
25日(月) 10:25 ラシュト市現地対策本部に向けホテル出発。「今日こそ救助活動。」と張り切る。
10:25
~11:35
ラシュト市現地対策本部とギラン州厚生事務所において活動地域について打ち合わせ。なかなか決まらず、イライラを通り越して「インシュ・アッラー(すべてアラーの神のおぼし召し)」と割り切る。
15:40 救助チームはマンジールにおいて救助活動、医療チームはラシュト市内のケシュマット病院において医療活動を行うことに決定。医療チームと分かれるのは、安全面、衛生面ともに痛手。
16:50 救助チーム、マンジールに向け出発。ラシュト市内も1~2割の建物は被害を受けている。
19:00 マンジール到着。市内の建物はほぼ全壊。
20:30 イラン軍の敷地内にベースキャンプ地決定。テント設営、野営。