平成2年6月22日イラン地震災害

総括官日誌による補足(1)

イラン地震災害

はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)

7 総括官日誌による補足

(1)地震発生から国際消防救助隊出発まで

1990年6月21日(木) 5:57(現地時間 21日 0:27)頃
イラン北西部を震源とするM7・3(米地質研究所発表では7・7)の大地震発生死傷者多数発生の模様。


6月21日(木) 19:55 外務省より「イラン政府からの救助隊要請の可否の決定は、早くても明朝22日になる予定。」との連絡。
●筆者、政令改正が済んだための課内打ち上げ会中に国際消防救助隊総括官として派遣されることについての意向を聞かれる。心の準備ができず、ピンとこない。
21:30 外務省より「今夜中にも、イラン政府から救助隊の要請がくる可能性が強い。」との連絡。
●筆者「まさか」と思いながらも急に酔いがさめ、自宅に出張準備依頼のTEL。
6月22日(金) 0:20 自宅に救急救助課よりTEL。「イラン国政府から救助隊派遣要請の可能性強い。消防庁からは6名派遣の見込み。」
2:23 イラン国政府から正式派遣要請。
2:30頃 自宅に派遣決定のTEL。出張準備は翌朝として、とりあえず寝ようとするが、眠りが浅い。
3:00頃 出発は22日22:20発JAL421便と決定とのTEL。
9:30 出張の支度をして出勤。新聞はのきなみ「死者2000人超す」「ガレキの下に300遺体」「ダム決壊、洪水も」「震源周辺の村落壊滅」などと報道。人ごとではない。
14:00頃 IRT手帳のリストを見ながら、筆者個人としての出発準備は一応完了。向こうの様子がわからないので。他に何を持って行くと良いのか見当がつかない。
16:00頃 夕刊では「石、レンガの町、墓場に」「死者2万人超す」「がれき、立ち尽くす人々」などの大見出しが踊っている。あまり深く考えないことにする。
17:00 長官室において国際消防救助隊発隊式。総括官としての辞礼交付を受ける。
17:30 自治大臣激励。がんばるぞ。
成田へ向け出発。
20:00 成田JAL貴賓室で結団式。
22:30 JAL421便で成田出発。「本当に成田に戻れるだろうか。」と考えたのは、これまでの海外出張でも初めて。