イラン地震災害
はじめに イラン地震被害の状況
国際消防救助隊の構成と携行資機材
行動日程 救助活動 各国救助隊の様子
イランの建物の構造について
総括官日誌による補足(1) (2) (3) (4) (5)
3 行動日程
国際緊急救助隊の行動日程は、表1のとおりである。
被害が当初の報道よりはるかに大きいことが分かってきた21日の夕方から日本政府の動きは、各国政府と比較してもかなり素早いものであり、22日未明には緊急救助隊を派遣することだけでなく、そのリストから搭乗する航空便まで決定されていた。残念なのは、13時間余りで行ける成田~テヘラン直行便が週2便しかなく、次の便までかなり時間があいていたため、チャーター便も含めて全員が最も早く行ける便を検討しても、結局ロンドンとフランクフルトで2回乗り継いでテヘランに入る22日22時30分発のJALしかなかったことである。このため、成田からテヘランまで31時間を要してしまった。
またテヘランに着いてからも、道路が崖崩れで寸断されていたり、被害が大きすぎてイラン政府の情報伝達機構や意思決定機構が大混乱していたりしたため、日本チームが軍用機とバスを乗り継いで、最も被害の大きかったマンジールの国際救助隊のテント村に入ったのは、テヘランに着いてからさらに44時間後であった。
この間に外務省とイランの日本大使館およびJICA(国際協力事業団)の担当者が払った努力は大変なもので、同じ条件のもとでこれ以上早く現地入りできる方法はなかったと思うし、救助チームとしては感謝するのみであるが、「もう少し早く着いて活動したかった」という思いがあることは否定できない(もっとも、崩壊すると土砂崩れの現場のようになってしまう建築構造のため、日本チームより少し早く現地入りしていたフランスとイギリスの救助隊も生存者の救出には成功していないので、結果は同じことだったとは思うが)。
表1 国際緊急救助隊の行動日程
月日 | 時間 | 活動内容 |
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6月22日 (金) |
22時30分 | ・JAL421便で成田出発 |
6月24日 (日) |
0時30分 | ・テヘラン空港到着 斉藤特命全権大使ほか大使館員出迎え |
2時40分 | 斉藤特命全権大使と打合せ | |
午前・午後 | ・イラン赤新月社との打合せ | |
18時50分 | ・イラン空軍機にてギラン州ラシュトに向け出発 | |
6月25日 (月) |
午前・午後 15時40分 |
・ラシュト現地対策本部及びギラン州厚生事務所で打合せ ・活動決定 ・救助チームは、マンジールでの救助活動 ・医療チームは、ラシュト市内の病院で医療活動 |
夜 | ・救助チーム、マンジールに向け出発 ・ベースキャンプ設置 |
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6月26日 (火) |
11時00分 | ・マンジールの住宅崩壊現場で救出活動実施 |
午後 | ・イラン側よりヘリコプターにより奥地の山岳地帯に入る可能性あり、準備待機の要請(要請は、夕方までなし) | |
6月27日 (水) |
7時30分 | ・フランス隊と救助に関する技術交流実施 |
9時50分 15時30分 |
・イラン側からの要請により山岳地帯のピルクに向け出発 | |
夜 | ・ピルクの現地調査と技術指導を実施 ・第2キャンプ設置 |
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6月28日 (木) |
6時30分~ 17時30分 |
・ピルクでの救出活動実施 |
6月29日 (金) |
午前 午後 |
・第2キャンプを撤収し、ラシュト経由マンジールに到着 ・ベースキャンプを撤収、テヘランに向け出発 |
6月30日 (土) |
午前 夜 |
・資機材の最終確認および整備 ・大使公邸で活動報告、大使主催の慰労会 |
7月1日 (日) |
18時35分 | ・イラン航空800便でテヘラン出発 |
7月2日 (月) |
12時00分 | ・成田着 |