昭和61年10月11日エルサルバドル地震災害

体験記(9)

エルサルバドル地震災害

地震の被害状況 国際消防救助隊の構成等
携行救助資機材 出発までの動き
被災地での活動状況(1) (2) (3) (4)
各国救助隊の体制 第2次派遣隊
現地での新聞報道及び反響 帰国後の動き
外務省の支援
体験記(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

体験記(9)
妻が成田空港で大粒の涙を流して出迎えてくれました

東京消防庁 消防士 飯塚正義

 勤務中本庁の救助課から、中米エルサルバドルへ派遣する隊員に決定したので出発準備を整えるようにとの連絡が入った。国際消防救助隊正隊員に指定されていたものの、こんなに早く出動がかかるとは夢にも思っていなかった。
 東京消防庁救助隊員の5名に選ばれたということが分かった時、重大な責任を感じ、日本の代表として恥をかかないよう精一杯頑張って来ようと思った。
 出発に際し、現地での飲料水、食料等は、どうなっているか分からないので、自衛手段として簡単な常備薬を携行するとともに現地の被害状況を記録するために、所属用のカメラを借用持参することにした。
 派遣が決まり、上司から家族等のことは心配しないで頑張ってこいと言われた時に、はじめて妻のことが気にかかりました。妻が一人で留守します。子供でもいればまだ気が紛れるでしょうがたった一人です。連絡等は署の方でやっていただけるとのことで、本当によろしくお願いしますという気持でいっぱいでした。
 同僚からは、私達が行けない分まで頑張って下さいとの激励を受け、また、署を出る時などは、当務員全員が見送りに出てくれて本当に勇気づけられました。
 災害が発生し、すぐに出動が決まり、そして短時間のうちに慌ただしく出国したことから、いろいろのことを細かく冷静に考えるゆとりがありませんでした。
 30時間以上かかっていよいよ到着。どんな状況になっているか分からないが、どんなことをしても一人でも多くの人を助けてくるぞという強い思いでタラップを降りました。
 現地では、連日、気温が30度を越える猛暑の中で懸命な救出活動が続けられた。また時折襲ってくる激しいスコールや地鳴りをともなった余震等も続き、特に穴の中での作業時には恐怖感さえ芽生えました。
 最初救出に成功したのは、女性でしたが不幸にも遺体であり、連日の猛暑のせいで、そのいたみも激しかった。現場付近では、これら遺体の腐敗が進み、付近一帯には何とも言えない死臭のようなものが漂い、今でも時々想い起こしたように鼻につくことがあります。また、現地入りして3日目のことでしたが、前日から、私達の作業を手伝ってくれていた現地の青年が、我々が作業場所を検討していたところに来て、突然、指輪の2つ入った箱と女性の写真をさし出し、なにやら哀願しているようでした。言葉は通じませんでしたが、彼の必死のそぶりから、婚約者がガレキの下にいるので早く助けてくれと言っているようでした。通訳の人に来てもらい話を聞いてみると、やはり婚約者が4階部分にいたと言うので、日本チームは今度、この青年の言う所を作業しようという事になった。4階の床が見える所まで来た時に小さな穴なんですけれども、彼が中に入って彼女の名前を何度も呼んでいるのには、自分なりに妻の事等を思うと他人事には思えず、本当に胸がジーンとなったのを覚えてます。
 現地で作業が終る夜までは緊張していたせいかよく言われる時差ぼけなどは、全然感じられなかったものの、朝は早くから、夜は大使館に寄ってミーティングをし、ホテルに着くのが9時か10時で、シャワーを浴びて1日の日記をつけて寝るだけという毎日の繰り返しでした。
 3日目の朝4時頃だと思いますが、突然大きな地震があり飛び起きたことがありました。ホテルも少し被害があった事から、崩れるんではないかと思い急いで窓を開けた覚えがあります。
 いよいよ8日目に引き揚げることになりました。連日の過酷な状況下においての作業で精神的にも肉体的にも疲労度はピークに達しておりましたが、まだ、生存者への希望は完全には捨てきれずにおり、何となくいやな気持でした。
 また、本当に言葉は通じませんでしたが、いっしょに作業をしたメキシコやスイスの隊員達と名刺を交換したりした時には、短い期間にいろいろの事があったけれども、人命救助という同じ目的を持って各国から集まって来た世界の仲間達ともこれでお別れかと思うと、なんだか淋しい気持ちになったのも事実です。
 ルーベンダリオビルを離れる時には、生存者救出の望みは少なくなりつつある中にも、ビル周辺で自分の家族が一日も早く見つかる事を祈っている人達が大勢おり、どんな大きな機械を使ってでもいいから早くビルのガレキを、どかしてやりたいな、とつくづく思いました。
 そしていよいよ帰国、成田空港に着いた時には、やっと着いた、自分なりに精一杯やって来れたという、本当に心から満足感で一杯でした。空港ゲートを出た時、出迎えに来てくれた大勢の人垣の中から、大粒の涙を流して立っている妻の顔を見つけました。
 「俺は国際消防救助隊員として精一杯やって来たよ。心配かけたね。」と自分で涙をおさえながら言うのがやっとでした。
 今回派遣されて特に感じたことは、同じ人命救助という目的を持った世界中の仲間が集まって一つの事を互いに協力してやりとげるという消防救助には国境がないという事をいろんな意味で痛感してきました。
 今後も海外に派遣される場合、派遣先の状況等がはっきりとつかめないと思いますが、皆さん日頃培った知識、精神力をフルに活用し我が国の代表として勇気と自信をもって活躍していただきたいと思います。