エルサルバドル地震災害
地震の被害状況 国際消防救助隊の構成等
携行救助資機材 出発までの動き
被災地での活動状況(1) (2) (3) (4)
各国救助隊の体制 第2次派遣隊
現地での新聞報道及び反響 帰国後の動き
外務省の支援
体験記(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
体験記(4)
「充実した気力」は救助隊の絶対条件
東京消防庁 消防司令補 横山正巳
国際消防救助隊(IRF・JF)は、昨年の4月に発足し、6か月目にして大変に意義深い海外への部隊出場を初めて果たした。これは、国際化社会に対応する消防機関の大きな役割でもあると思う。
私は、国際消防救助隊員に兵たん要員(救助担当)として登録してあった。
海外派遣当日私は、中米に地震が発生したことを昼のニュースで知った。そして1時間後、隊員の一員として選ばれて派遣が決定、ロッカーの着替えをもって慌ただしく短時間に出発した。
私の胸中は、選抜された驚き、不安と「やってくるぞ」といった期待感とが入りみだれた気持ちでいっぱいになった。派遣要員が少数で、かつ特別救助隊員でない私が選抜されるとは思ってもみなかったし、救助活動のほかに庶務、広報、隊員の健康管理を担当するとあって、具体的に何をどうすればよいのか分からず、非常に不安であった。飛行機の中では、現地のことを色々と頭の中で想像し、緊張感からか浅い眠りしかできなかった。とにかく、体でぶつかるしかなかった。国際消防救助隊に登録している隊員は、災害発生時、必ず出場するという心構えが必要と感じた。
救助活動の現場となったビルの『残骸』は、目を覆う程で、どこから活動してよいか戸惑うほどであった。日本で行う救助活動とは違いビルに関係する、用途、収容人員などの情報は、全く入手できず苦労した。また、救助活動現場は、各国救助隊でほとんど占められ、それぞれ独自の判断で特徴ある救助活動が行われて、統一的な活動がなされない状況下であった。さらに、言葉の障害があった。通訳は、献身的であったが、現地の人と各国救助隊との間で意志がよく通じないため、十分な連携、調整ができなかった。現地は、スペイン語が主流だったが、英語でも十分通じる部分があった。しかし、自分にその語学能力がなかったため、現場やホテルで歯がゆい思いをした。やはり英語などの語学力を身につけた救助隊員が絶対必要であると強く感じた。
現場は連日、余震、死臭及び30度を越す酷暑が続き、交代要員もいない中で、12時間におよぶ救助活動は、難航を極め、各国救助隊の救助技術レベルもわからない状況下で、共同で活動しなければならない様々なプレッシャーがあった。
そのため隊員は疲労が激しく、体力の消耗が著しい。しかし、『気力』で克服した。『充実した気力』これは、国際消防救助隊員がそなえる絶対条件であることを感じた。
また、各国救助隊は、救助活動が困難で技術的要素が必要なところは日本隊に依頼するなど、日本の救助技術の高さを評価していた。
私は、今回色々貴重な体験をした中で、印象に残っていることがある。それは、スイス隊と共同で生存者2名を地震発生3日後に救出したとき、フランスのSAMUという救急のパラメディカル3名が毅然とした態度で、血圧測定、点滴、骨折処理を手際よく完全に行ってから搬送したのを目の当たりにしたときである。まわりにいた救助隊は、その間当然のように冷静に見守っていた。日本では、救急体制も違うということもあるが、私は要救助者に対するその処置、搬送に対し感心させられた。
現地での食事は、日本大使館員が夕食、昼食に関しては献身的に日本食で準備してくれたので非常に助かった。しかし朝食は、ホテルで薄いトースト、コーヒー、ジュース、少しの野菜だけで量が少なく非常に困ったが、現地の人達からパン、コーラ、バナナ等の差し入れがあり助かった。それは、我々に対する期待と感謝の気持ちであることが痛いほどわかり、うれしさと同時に、「よし、やってやろう」という強い気持にもなっていった。
今回は、地震による壊滅的な被害でなかったので、食事や宿泊などの面では、比較的楽な方であったと思われる。しかし、国際消防救助隊員として派遣される時、野営、自炊をするという気構えと、それに耐える精神力を養っておくことが必要であると感じた。
帰国する時、現地の人達が我々にかけより「連日の救助活動大変にありがとう」と言う感謝の言葉が多数あった。私は、国際消防救助隊の役割が、ここにあったのだと感じるとともに、その一言で疲れがとれた思いもした。
人と人とのふれあいの中で、救助が何よりも大切であり、消防機関が果たす役割がここにあると思う。今後とも世界各地で、いつこのような災害が発生するか分からないので派遣に対し、あらゆる面から体制を準備し、強靱な部隊を育成して、国境を越えた消防の使命を遂行していきたいと感じる。