昭和61年10月11日エルサルバドル地震災害

体験記(3)

エルサルバドル地震災害

地震の被害状況 国際消防救助隊の構成等
携行救助資機材 出発までの動き
被災地での活動状況(1) (2) (3) (4)
各国救助隊の体制 第2次派遣隊
現地での新聞報道及び反響 帰国後の動き
外務省の支援
体験記(1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

体験記(3)
気温32度 野戦さながらの救助活動でした

横浜市消防局 消防司令 森 淳一

 昭和61年10月15日、国際緊急援助チーム、第2次派遣隊として、中南米エルサルバドル共和国に派遣を命ぜられた。この時は若干の不安もありましたがその反面、本年4月に、国際消防救助隊員に選考され、登録された以上は任期中に一度は諸外国で活動を行ってみたいという期待がありましたので不安より活動意欲が全身にみなぎりました。
 派遣準備の連絡が入ったのは日々東京消防庁の活躍について新聞等に関心を示していた非勤務日の10月14日の夕刻でありました。直ちに消防局に出向き、救助課より派遣人員、出発予定日、搬入資器材及び個人装備品等について説明を受けたのち帰宅し、指示された地震動員用のリュックサックに水筒、下着、タオル、少額の現金、筆記具、カメラ等そして各種多様の医薬品を詰めこみました。
 10月15日、9時00分出勤、10時15分、自治省から救助課に連絡が入り派遣人員は3名、21時30分の大韓航空により新東京国際空港から出発すると正式に決定。13時30分、自治省、清野審議官の御臨席の中で、局長より海外出張命令書を受領。局長訓示、審議官の挨拶を受けたのち消防局中庭にて、多数の職員から激励と見送りを受けた。任務の重大性を感じつつ、壮途についたがこの間、緊張の連続でありました。
 新東京国際空港に到着して日本旅行社の職員から公用パスポートを渡され渡航経路及びエルサルバドルの国情説明を受けた。そして我々と活動を共にする国際協力事業団の職員を同室長から紹介された。室長より「外交の一環として国際親善にも力を入れて下さい」と激励され出発したのであります。
 被災国まで約30時間の機内等の活動は食べる、読む、寝るの繰返しでありました。ただ経由地点ごとに搬入資器材、20個、総重量700キロの積み降し作業は予想外でもあり大変な労働でありました。長時間の飛行も無事に終え、16日、8時00分(現地時間)エルサルバドル空港に着陸、我々を最優先として機外に出してもらい、フリーパスで入国後、コスタリカ臨時大使の出迎えの車両で被災現場に直行しました。
 被災現場にて東京消防庁救助課長から活動方法等の説明を受けたのち、各搬入資器材の確認と組立を実施し、活動を開始したのは、着陸からわずか1時間25分後でありました。
 長時間の飛行と時差ボケ、そして精神疲労のある中で被災現場に到着した時、先発隊の東京消防庁の隊員が我々に駆けより「横浜さん、待っていたよ、ご苦労様」と言われた時は、疲労など吹き飛んでしまいました。
 そして目前にあったのは提灯を潰したような倒壊ビルであり、そのありさまは驚天動地そのものでありました。
 活動作業は各国との共同作業であり、活動方法はアメリカ方式をとって、重機クレーンを使用しての倒壊建物の上部からの除去作業であります。我々は日本から搬入した削岩機5機、万能切断機2機、電気ハンマードリル1機の破壊資器材を駆使し、各階層の分離切断作業を実施した。実施方法としては、ルーベンダリオビル(雑居ビル、全壊、地上5階、地下1階、震災時の入居者、推定600人)屋上部分より各階層のコンクリートを約3メートル四方に削岩機により分離した後、万能切断機により横筋の切断を行い、さらに分離切断したコンクリート片を削岩機により穿孔し、チェーンを通してクレーンにより吊し上げ除去をするという作業工程を繰返し行った。
 気温が32度、死臭とコンクリート粉が、まん延する中で野戦さながらの活動でした。16日の夜は臨時大使館にて自治省救急救助室長から「救助活動というより遺体収容作業の段階に入っているので18日の夕刻、資器材の一部を供与し帰国の途につく予定である」と話がありました。
 被災国隊員及び近隣国の隊員に資器材の技術指導など行い、活動現場の中では日本チームの働きが中心的存在をなしているかのように感じました。
 こうして短い活動ではありましたが無事10月20日夕刻、帰国したのでありますが、到着ロビーに出て驚きました。そこには消防庁長官、総監、局長等多数の方々が出迎えてくれまして、我々は、あらためて感激で胸いっぱいとなったのであります。また、10月31日には東宮御所において皇太子殿下に拝謁し光栄に浴したのは生涯忘れえぬ思い出となるでしょう。
 さて国際消防救助隊に登録されている皆様、今後、いつ、どこへ派遣の命令を受けるかわかりませんが、あえて今回の教訓として述べさせて頂くならば、各救助資器材の取扱い熟知はもちろんのこと特に体力の向上に努め、内臓諸器官を壮健にしていただきたいと思います。そして国際社会に通用できるよう日々啓発に努め、国際感覚を養って下さい。
 我々も今回の貴重な体験と教訓を生かし、さらに救助活動の技術向上に努力していきたいと、思いをあらたにしております。