魚がとれない

4.増えつづける生活被害

魚がとれない

水無川河口の海域は、この沿岸でも良好な漁場のひとつで、災害の前は、クルマエビ、ガザミ、ヒラメ、タコ、マダイなどの宝庫でした。また、ワカメやコンブ、アサリなどの養殖も行っていました。
しかし噴火災害では一時、水無川河口から2.5キロメートルの海域が警戒区域となって立ち入りができませんでした。また、土石流や降灰によって漁場が荒れ、水揚げは大幅に落ち込みました。大規模な土石流で家や自転車などまでが海に押し出され、漁に出ても網が破れるなどの被害が出ました。
 仮設住宅で避難生活を送りながら漁に出ても、網には土石流で流された家屋の木材がかかるだけで漁どころではなく、まるで海の掃除をするために網を入れているようなもので本当に情けない思いをしました。
災害前からクルマエビの養殖に取り組んでいた深江町漁協が、被災後クルマエビの出荷を再開したのは、実に災害から7年後の平成10年のことでした。
水揚げ量の減少は、土砂や火山灰の堆積により魚の餌となる海藻やプランクトンが激減したためと考えられていますが、諌早湾干拓工事の影響もあるのかも知れません。
水揚げは、今やっと災害以前の半分程度までは回復しました。しかし、人口が流出したり旅館の宿泊客が減っていることから、魚の消費量も減っていて魚の値段も下がっています。
このように火山災害は、陸上のみならず水産業にまで大きな被害をもたらしました。

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有明海に流れ出た大量の流木を集める漁師
(撮影・石川文洋)

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土石流で漁場は荒れ、車エビ漁の網にかかるのは流木だけという日が続いた
(撮影・横田勲)

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天然の車エビ、一時は収穫が激減
(撮影・石川 文洋)