南三陸町
南三陸町防災対策庁舎
震災1か月後(2011.4)
ガレキはほとんど片づけられておらず、町内の被災箇所はガレキの山と化していた。
震災1年半経過(2012.10)
庁舎とその周辺のガレキはほぼ片づけられたものの、周囲は、庁舎と同様骨組みだけの建物が点在していた。 庁舎前には慰霊の壇が設けられていた。
震災2年半経過(2013.9)
解体が決まった防災対策庁舎だが、まだ解体されてはいなかった。祭壇にはひっきりなしに人が訪れて、花を捧げていた。
震災3年半経過(2014.10)
当初、解体されるとされていたが、その後遺構として残すか残さないかで結論が出ていなかった。 現在のところは、宮城県が2031年まで県有化して管理することを検討しているとのことだ。
震災4年半経過(2015.9)
県有の遺構として残されることになった防災対策庁舎―周辺はかさ上げ工事が行われ、あたり一帯立ち入り禁止区域となっていた。