宮古市
田老防潮堤と田老漁港
震災1か月後(2011.4)
「万里の長城」と呼ばれた田老防潮堤も各所が破壊され、海に残骸が流されるなど甚大な被害を受けたが、その傷跡が生々しく残されていた。
震災1年半経過(2012.10)
復旧のため、防潮堤周辺工事が行われていたが、並行的に漁業を行うために整備した施設が建設されていた。 ただ、防潮堤自体はまだ被災当時を思わせていた。
震災2年半経過(2013.9)
昨年置かれていた資材は漁港の復旧に使われたものの、跡地はまだ雑草に覆われていて、荒涼としていた。ただ、周辺では漁業関係施設がどんどん建てられてきており、少しずつ復興へ踏み出しているようだった。
震災3年半経過(2014.10)
引き続き、田老漁港は復旧作業中だったが、防潮堤の取り壊し等は行われていなかった。 この防潮堤の取り扱いについて、岩手県は一部を震災遺構とする方針を決定したとのことだ。
震災4年半経過(2015.9)
田老防潮堤の取り扱いは、岩手県が防潮堤を震災遺構として保存する予定である。現在のところ、まだそのまま手が付けられていなかった。