田野畑村
全壊した島越駅と残された宮沢賢治歌碑
震災1か月後(2011.4)
「カルボナード島越」と呼ばれ親しまれていた島越駅の風光明媚な風景が一変していた。取材時には重機が入って、ガレキ除去作業が行われていた。
震災1年半経過(2012.10)
全体的に復旧作業の進捗が早く、石碑の保全のための移設作業も行われていた。 ただし、島越駅の復旧にまでは手が付けられておらず、三陸鉄道北リアス線の復旧のめどが立っていなかった。
震災2年半経過(2013.9)
手が付けられていなかった三陸鉄道北リアス線の復旧の真っ最中で、島越駅の復旧工事が行われていた。 工事の看板を見たところ、平成26年6月27日に工事が完了する予定となっていた。
震災3年半経過(2014.10)
未開通だった三陸北リアス線が平成26年4月6日についに復旧し、遅れて新駅舎が7月27日に完成した。 (駅舎はすぐ後方右手に移築され、正面にあった旧駅舎前のロータリーは使われなくなっている。)
震災4年半経過(2015.9)
新島越駅は高台に移設され、宮澤賢治歌碑は旧駅舎跡に残されていた。