語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

岡﨑 由紀子さん 女性

東日本大震災における体験談


2011,3,11 14:46


岡﨑 由紀子


 東日本大震災、大津波が来襲、脳裏から消えることの出来ない数字と成る。


 旦理町は、毎年6月の第二日曜日避難訓練をして居る。地震が来ても、まさか津波が来る事等、誰も思って居なかったであろう。


 


 地震が治まれば家に戻れると、身軽な格好。訓練時にはリュックを背負う姿があったが地震の強さに焦り驚いたのか、その姿は無かった。荒浜保育園は、訓練通りに行動し1番先に避難所である荒浜中学校に。私は遅い昼食を取り横に。底の方から突き上がる揺れ、慌てて起きようとするが起き上がれず、壁伝いに這い、ようやく立ち上がり外に。何かに掴まって無いと立てないほど強い揺れ。隣の堀は完全に倒壊。


 太い電柱が左右に揺れ、電線が切れんばかりに。この世の終わりかなと。67年間生きているが、今までに感じたことの無い大地震。旦理消防署より割れんばかりの音量で、海に近づかないで下さい。早く高い所に避難してくださいと繰り返し放送。サイレンの音等。地面を見ると側溝と道路の継ぎ目から、鼠色のドロドロとした液体が吹き出して来た。液状化現象である。


 


 昔から荒浜は遠浅の海岸で山も無いので津波が来たとしても大した事は無いと。チリ地震、宮城県沖地震で、少しの被害は有ったが、目に見える被害が無かった。でも約400年前に大地震大津波が来襲と文献に記載されてる。我々には何の語り伝えも無かった。そんな訳で私も避難所で名前を記載したら、スーパーに買い物に行こうと軽い気持ちで学校へ。


 


 着くと津波が来ているので3階まで昇れと。


 階段を昇り、ほっとし東の方を見ると幾重にも重なり合っている白い波。次の瞬間には、茶色からどす黒い波に。言い表せないほどの波しぶきが高く舞い上がる。鳥の海温泉が壊され流されてしまうと目を覆う。全員が声にならないウメキ声。アー、ウーと悲痛な声。


 


 大型船が船長が舵を取るかの様に目の前を通り過ぎていく。家が車が流され「あーあの2階建て私の家」と叫ぶ声が。徐々に沈み流されて行く。我が家も同様であろうと。


 


 日も暮れ始め、流れも穏やかに。校庭は湖と化した。地区毎に教室が区分され人数を把握する。


 


 園児たちの寒さ対策は、ダンボールを敷き、その上に机を並べその下に園児を。落下物から守る為に。カーテンを外し、肩からかける。園児は保育士さんに抱きつき、誰1人泣き声を立てずに涙をいっぱい溜めこらえている。腹が空いたなどの声も無く。


 


 温泉にて被災に逢った夫妻。赤ちゃんが腹が空いたと泣く。ミルクは有るが湯が無い。理科室のアルコールランプで沸かすが足りず。キャンプ一式を持ち避難した家族。如何なる時でも対応できる用品だと感心する。ボンベなのでテラスで。泣き声が笑顔に。みんなで胸を撫で下ろす。


 


 トイレの紙は卒業式後だったので鼻紙で。トイレの水は湖と化した校庭よりバケツリレーで水洗トイレに早変り。飲料水は屋上に有る浄水タンクからリレー式で大桶に、やかんにと移し替える。後で知るが役場、先生方、区長達の協力を得たからやれたと。7時を過ぎると暗い。外の灯りは1つも見えぬ。無気味である。廊下側に懐中電灯の灯かりが。各教室もぼんやりと。トイレに行くと屋上で騒ぐ声が。もう少しだ頑張れ、つかまったか、良かったーの声が。逃げ遅れ流されて来た人を屋上から指示、助言して居る。今、ここに居る事がいかに幸せであるか。


 


 真夜中、下半身ずぶ濡れの男女3名。逃げ遅れ、家の周りの水が引いたので中学校を目指し来たが水が。引き返せずに覚悟を決めて来たと。皆で協力し合いタオル等で水を吸い取り、段ボールで靴らしき物を造ったり、皆で智恵を出し合う。


 


 3時頃、全身ずぶ濡れの男性。頭もびっしょりと濡れてる。シーツで髪を乾かすが水を吸い取るタオルが見つからず、シーツで対応する。震えが止まらず、さぞ辛かったであろうと。


 


 日が差し始め、ヘリの音が聞こえる。皆の顔が笑顔に。外は穏やか、湖と化した荒浜地区今後どうなるんだろうの不安より、一刻もここから抜け出したい気持ちの方が強かったかな。


 


 魚のセリに使う、セリ箱が流れ着いたのに漁師の方が乗り漁港周辺を調べて来ると。話にならない程ものすごい有様であると。ヘリは家に取り残され救助を待つ人を1人1人吊り上げ救助して行く。助かった人に拍手。


 


 夜中、酸素を必要とする方が居り残量が少なくなってきたと。消防署の方が救命ボートで持ってきてくださる。糖尿、薬を服用するのに胃の中に何かをと。歯医者さんの奥様がセリ箱に乗り、2階より食物を持ってきて下さる。何百人居る方々を守るのに、色んな努力、協力があったから、誰1人も死なずに救助された。こんな事は滅多にある事では無いと思う。あってはならぬ事である。我々1人1人が今後避難する時は人に頼らずに、自分の事は自分で守る。


自分の命なのだから。


 


追伸


2011,3,11 14:46前に海の底では異常が起きていたのでは無いかと。


ホッキ漁をしている友が居る。前日よりホッキ貝が異常な程の収穫。3,11もすごい収穫が有り割れて出荷出来ぬ貝を仙台の友に届けに行き被災したと。


釣り人も大きいボラが釣れたと近所に配布したと、何らかの異状を察して動いていたのではと。


 


 


体験談原稿写真1(岡﨑さん)鳥の海湾(鳥の海温泉が見える奥の方)

体験談原稿写真2(岡﨑さん)
港町地区 3月16日

体験談原稿写真3(岡﨑さん)
荒浜小学校より3丁目方向と押し寄せた大波1

体験談原稿写真4(岡﨑さん)
荒浜小学校より3丁目方向と押し寄せた大波2


体験談原稿写真5(岡﨑さん)重油タンクの間に挟まった船。


体験談原稿写真6(岡﨑さん)


奥の鉄骨2階建ては2階まで波かぶる。手前の建物は完全に1階部分は流され基礎だけに。