3月11日と同じ様に
石川 弘子
川沿を歩いていた時、息子から「おかあ、大きな波が来そうだから、一度家にもどった方がいいよ。」そんな連絡を受けて、戻ったから、今の私がいます。あの時、一緒に話していた方、川岸で津波を見ようとしていた方々、消防車、消防団の方々、皆、津波に流されました。
そんな中、私は、カメラのシャッターを押し続けていました。目に入る光景は怖さより驚きの方が強かった。町の中は、崩れた家々に水が一階部分に入り込み、一ヶ所から出火したことで、一晩中、久之浜の町は火の海と化した。
翌日、まだ津波が来ている、消火も完全ではない、道は、ガレキの山、足元はぬめって、足がとられる。入れる所からシャッターを押し、本当に言葉も出ない変わり果てた町。秋葉神社が残っていた。
57ヶ月の時が過ぎても、まだ復興の先は見えてない。放射能という事を理解しにくい私達は、まず学ぶことからはじめ、生活していくにはどうあるべきか、を考えています。日々、変化していく町。私が出来る事は、あの日と同じ様に、シャッターを押すこと。