語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

長崎 基一さん 男性

 平成23年3月11日の東日本大震災は、私が66年の人生の中でも生涯心の奥に残る大惨事となりました。私たちの集落は、160世帯、人口約500人の小さな漁村集落です。 周囲は山に囲まれ、東側に面した所が漁港になっています。春はウニ漁に始まり、秋はアワ ビ、鮭と自然豊かな集落です。あの3.11から3年8ヶ月経ってもまだ復興半ばです。私 たちの集落は、過去に2度大きな津波災害に遭っています。それを教訓に、昭和52年度か ら小本川水門本体工事に着手し、平成2年11月に完成しました。岩手県沿岸は、津波の常襲地帯と呼ばれる三陸海岸。津波は、三陸海岸に住む人々にとって致命的な関わりを持って います。

 私たちの集落も、明治29年6月15日の明治三陸大津波、地震発生午後7時32分、津波襲来午後8時15分、波高約12.2メートル、津波前家屋94棟、流出家屋74棟、津波前人口517人、犠牲者271人。昭和8年3月3日の昭和三陸大津波、地震発生午前2時31分、津波襲来午前3時10分、津波高13メートル、津波前家屋145棟、流失家屋79棟、 津波前人口792人、犠牲者118人、と甚大な被害に遭ってきました。

 昭和35年のチリ地震津波では、幸い人的、家屋被害が無くて済みましたが、過去の災害 を認識し、さらに徹底されたものになり、このチリ地震津波を契機に防波堤の建設が始まり 、小本も第4次治水5ヵ年計画における三陸高潮対策事業が始まり、昭和47年から防波堤 及び小本川水門の建設に着手しました。

 昭和52年度から水門本体工事に着手し、19年の歳月と116億2,800万円の巨費 を投じ、防波堤及び国内最大級の小本川水門が、平成2年11月に完成しました。

 昭和8年の津波高である13メートルを計画堤防高として建設されましたが、今回の東日本大震災ではそれをはるかに越える21メートルの大津波が押し寄せ、水門を越えた大津波が小本集落を襲いました。平成23年3月11日東日本大震災大津波、地震発生午後2時46分、岩泉町震度4、マグニチュード9.0、震源の深さ24キロメートル、大津波警報発令午後2時49分、避難指示午後2時50分、津波襲来午後3時28分ころ、地震発生から42分後、津波高20.2メートル痕跡高、津波前家屋住宅のみ166棟、被災家屋154棟、被害率93パーセント、集落直接犠牲者3人。今回の東日本大震災は、日中の津波だったのと過去の災害を教訓に年に1度集落全員で避難訓練を行っていたため、今回の災害はこの訓練が非常に役にたちました。

 地震発生直後、集落の役員や役場支所の職員の方々が一軒一軒声を掛け全員避難させました。日ごろから一軒一軒声掛けをしています。今回の津波は、地震発生から40分も時間があったのと、それに日中という事もあり全員避難しました。しかし、夕方になり寒くなって きたので、避難所から自宅に荷物を取りに戻って犠牲になったものと思われる人がでてしま いました。

 日ごろから隣、近所の方々と良いコミュニケーションを取り、声を掛け合い、これからも、この小本の集落で生涯を終えたいと思います。最後になりますが、まず自分の命が大一番 です。それから少し落ち着いてから先のことを考えると良いような気がします。


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