語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

飯沼 徹也さん 男性

飯沼 徹也さん

「お帰り」と言う母の顔を見た途端に気が緩み 思わず「みんなの家が全滅だ!」と叫ぶ

 私は町の荒浜地区の海岸から150mにある町営の温泉ホテル「わたり温泉鳥の海」の営業担当でした。
私を含めた職員33名、お客7名、避難住民4名の44名は完全に孤立しました。

 私は町の荒浜地区の海岸から150mにある町営の温泉ホテル「わたり温泉鳥の海」の営業担当でした。
私を含めた職員33名、お客7名、避難住民4名の44名は完全に孤立しました。

荒浜市街を飲み込む第3波の勢いのすごさを見て
亘理町全部が壊滅するのではないかと思った


 あの日、私は外回りで隣りの町にいました。地震発生と同時に、温泉に戻るべく国道4号を走りましたが、渋滞が発生していました。海岸沿いを走る県道10号亘理塩釜線に進路を変えて、阿武隈川の川底が見えるのに驚きながら亘理大橋を走り抜け、温泉に着いたのが15時半頃。1階フロントにはすでに人影は無く、非常階段を駆け上って避難していたみんなと合流し、間もなく4階東側テラスから第1波の来襲を観測。少しでも高く逃げようと全員が5階(展望風呂)から更に屋上に避難したのが15時59分。その時、陸上高さ5mの第3波の大津波が眼下の荒浜市街を飲み込んでいきました。その勢いのすごさを見て、亘理町全部が壊滅するのではないか、6km離れた西側の自分の家も親達もダメかなとさえ思いました。


添付は、この時の写真で、私の同僚で親友の白井龍治さんが撮影し、河北新報に掲載されたものです。私は彼と一緒にこの一部始終を眺めていたのです。頭の中は真っ白で言葉が出ませんでした。


町の中心部までは浸水せず、大きな地震被害も無い安心と同時に荒浜の惨状との違いに驚く


 幸い、津波は1階ロビー(普通の建物の2階相当)の吹き抜け天井裏までの浸水で止まり、2階は宴会場、3階は客室で毛布や布団があり、4階が展望レストランで厨房があり、食材のストックがありました。全員で籠城し、翌12日の早朝、屋上にシーツを裂いてSOSを描き、いくらか水も引いて歩けそうだと判断し、私と白井さんとSさんの若手3人が代表で下に降りて外に出ました。市街は瓦礫の山と水深不明の水たまりが散在していて危険で歩けません。部分的に破壊を免れた海岸防潮堤と、それに続く河口の堤防伝いに歩いて状況を偵察しました。私が役場に報告に行き、あとの二人は脱出作戦検討のためにホテルに戻る事にしました。町では役場職員が総出で車を出して、亘理大橋の袂を起点とし、海岸からの避難民や浸水した浜の避難所と、西側の市街地にある役場と町の安全な避難所との間の連絡と、救援物資届けと避難者移送のピストン輸送をしていました。私は橋まで歩いて役場職員の車を捕まえ、役場の対策本部に行き、温泉は全員無事の口頭報告をしました。役場をはじめとする西の山側に寄った町の中心部までは浸水せず、大きな地震被害も無い事に安心しましたが、同時に荒浜の惨状との違いに驚きました。役場報告の帰りに近くの我が家に立ち寄りました。父は自治会の給水指揮で留守でしたが母はいました。


「無事でよかった、よかった」と
40才にもなった私の背中をさすってくれる母


 我が家の玄関を入り、茶の間に入って「お帰り」と言う母の顔を見た途端に気が緩み、思わず「みんなの家が全滅だ!」と叫び、その場で膝を折りました。涙が出て止まらず、そのまましばらくうずくまって泣きました。


 同僚や部下の大半がまだ若い娘であり、主婦であり、嫁であり、津波に襲われた浜の住民達でした。漁師や出入り業者はじめ、知人みんなの自宅も倉庫も店も車も船も、そして大切な家族も流されて行くのをただ茫然と見送っているしかなかったのです。彼らの心情を思えば泣かずにはいられませんでした。
 母は、40才にもなった私の肩を抱き、背中をさすってくれながら「無事でよかった、よかった」と、ひたすら言い続けていました。
 気を取り直したところに父も戻り、父の求めに応じて町の地図に、土手から眺め、役場に来るまで車から見た範囲での被害地域の概略をマジックインクで描き込みました。そして父の大型登山用リュックを借りだし、母に頼んで、主に女性職員用の着替えや長袖シャツや防寒具、更に若干の必要物資を詰められるだけ詰めて背負い、長靴に履き替えて、また車と歩きでホテルに戻りました。全員でもう一晩籠城し、13日の朝、すっかり水が引いたホテルの駐車場に自衛隊大型ヘリが着陸し、全員一度に脱出することができました。


(平成25年10月)


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「わたり温泉 鳥の海」2010.7.19 足湯 取材

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「わたり温泉 鳥の海」2010.7.19 取材 ミヤギテレビ OH!バンデス

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私の3男・徹也の車 勤務先駐車場から流され、6月末に湾内の海底から引き揚げられた。 平成23年8月26日撮影 亘理町公共ゾーン 罹災車置き場

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「わたり温泉 鳥の海」2011.3.22 撮影・飯沼