語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

HRさん 女性

あと5秒遅れていたら…
“間一髪”という日本語をよく理解した

 私は上海から嫁にきました、中国人です。
 あの日は家族みんなで家にいました。役場の発信塔が倒れて山元町役場の防災無線は放送できず、消防車の巡回で津波警報を知りました。


ザワザワと津波の迫る音
車は水しぶきを上げ始めた


 私の車に義母を乗せ、パパの車に息子達が乗り、2台共エンジンをかけていました。海岸にあるイチゴ畑が心配で、私とパパは車の外で海の方を見ていました。松林の上に真っ黒い水煙りが見えた時、パパは「来たな!おい、逃げるぞ」と声をかけ、すぐに車に飛び乗りました。夢中でパパの車を追いかけました。
 常磐線の踏切は遮断機が下りて警報が鳴りっぱなしでしたが、パパの前にいた車が体当たりしてバーを壊して突破しました。私の車の後ろからザワザワと津波の迫る音がして、車は水しぶきを上げ始めていました。
 やっとの思いで振り切り、3㎞ほど離れた高台の国道に出て助かりました。「あと5秒遅れていたら俺達もやられたな…」とパパが言いました。“間一髪”という日本語の意味をはじめて良く理解できました。
 お隣りにも「逃げよう」と声がけしたのですが「すぐ行くから」と言ったのを最後に、お婆ちゃんとお嫁さんが流されました。


家族の絆が一層強くなった。
助かった命を大切にみんなで頑張ります。


 私は一人娘ですので、電話が通じるようになると、上海の親は、「食べ物はあるか、放射能は大丈夫か、政府では飛行機も用意したはずだから一度帰って来い」と泣き叫んでいました。
 「大丈夫だよ。命は助かったし、車も無事だったし、私達よりもっと困っている人がいっぱいいるんだよ。お義母さんや子供達を置いては帰れないよ。避難所は食べ物も心配ないよ。自衛隊のお風呂だって入れるよ、心配しないで…」と説得しました。2年たちましたが、中国には帰省していません。
 次男は将来自衛隊員になると言っています。自衛隊の活躍に感動したのだと思います。
 今回の大災害を経験して良かったと思う事、それは家族の絆が一層強くなったという事です。家も畑も田んぼも全滅しましたが、助かった命を大切に家族みんなで頑張ります。


(平成25年10月)