語り部の体験紹介コーナー

東日本大震災の被災者からのメッセージです。

古舘 育子さん 女性

古舘 育子さん

幾度の大津波を経験した
大槌町にも復興の槌音が

 陸中海岸国立公園は岩手県北の久慈市から宮城県北の気仙沼市までの約180㎞の風光明媚な海岸線。私が生まれ育った気仙沼市から宮古市までは所謂リアス式海岸である。30年程前からお世話になっている大槌町は、陸中海岸国立公園のほぼ中間。今回の東日本大震災では住宅地の52%が被害を受け、亡くなった方800人以上、行方不明者400人以上。町民の一割が犠牲となった。
私は気仙沼市の北端の階上(はしかみ)で生まれ育った。


「津波が来るぞー」…何も起こらなかったのが
狼少年の様な役目を果たしてしまう


昭和35年5月24日、チリ地震津波が村を襲った。小学2年の私と姉は、「海に行けば魚が沢山拾える」と聞きバケツを持ち海へ向かった。向いの気仙沼大島から瓦礫が沢山流れ着いていた。大人達は線路を超えた波で塩水が入り今年は収穫が見込めないと嘆いていた。それから7年後、今回の震源地南三陸町(当時は志津川町)に進学の為の奨学金借入の試験に行き、嵩上げされた堤防に水位が記されていたのを教わり、15才にして初めて津波の猛威を知った。


 大槌町は明治、昭和と2度の三陸大津波を経験し、高台へ住宅を構える様になった。昭和35年のチリ地震の時には若布生産者の方が午前2時頃海の異変に気付き、町独自の警報が出され、2時間後の午前4時には避難が終了し、誰一人犠牲にならずに済んだと聞いている。その後、便利な低地に家を建てる人が増え、今回犠牲者を多く出す結果になった。又、大震災の前年の2月末の地震では海岸線を封鎖し津波に備えた、隣町の釜石市に勤めていた夫も何時間も足止めされ、炊き出しのおにぎりを戴いて夜中に帰宅した。震災の2日前にも同様の事が起こり、「津波が来るぞー」と言われ避難したものの幸い何も起こらなかったのが狼少年の様な役目を果たしてしまい、避難する人が減ってしまったのではないかと分析する人が多い。


子供達の為にも生きるんだ、と思う根性が
冷静にチャンスを生かし助かった


 大槌町の北に井上ひさし氏の書いた小説、吉里吉里人のモデルになった吉里吉里に私は住んでいる。長女の同級生にNちゃんが居る、Nちゃんは偶然が偶然を呼び命拾いをした。
あの日の朝Nちゃんは3人の子供を前に「ママは津波が来ても元気で戻って来るからね。」と言って宮古市の病院に姑さんの見舞いに出掛けた。帰路、自宅から20kmの山田町で津波に襲われた。予めシートベルトを外しておいたのが生死を分けたと言う。車に波が入るや窓から脱出、流れてきた屋根に這い上がり、流されている所にタンスが、タンスに移動、そしてタンスが電柱にぶつかったので、これをよじ登ったと聞く。暫くして「飛び降りろ」の声に下りる事が出来た。Nちゃんは線路沿いを裸足で親戚の家に辿り着いたのは真夜中だったらしい。「Nちゃん頑張ったね。」Nちゃんの家は全壊だった。半壊の実家の泥出しをしていたNちゃんに声を掛けると大きく頷いていた。Nちゃんは幼い頃から快活で、小学生時代には水泳記録会に毎年出場していた。子供達の為にも生きるんだ、と思う根性が冷静にチャンスを生かし助かったのではと思う。


「私はいつになったら家に戻れるのか。」
死んでしまった事すら自覚していない



 「姉さん、どうして逃げなかったの?」「怖い、怖い、波が、波が」親しくしているご近所の方のお姉さん家族は6人中5<人が津波の犠牲になった。どんな状況で姉さんが亡くなったか知りたいと祈祷してもらう所へ同行する事になった。「私はいつになったら家に戻れるのか。」尋ねている。「大槌ではね800人以上が亡くなったんだよ。姉さんも亡くなったんだから、上で上手くやって。」と伝えると落ち着いた様子。「Yちゃんはね高校だけは出してやるからね。」「よろしくお願いします。」こんな会話が聞こえた。一瞬にして命を奪われ、死んでしまった事すら自覚していないと思われる。我家には同郷と言う事で百日間托鉢僧が泊まっておられた。「和尚さんと呼ばれた、女性の影が見えた。」その場所は皆確かに亡くなられた方が居た場所で、お経を唱えて来られたと言う。又長野県の和尚さんからは仮設や幽霊話のある場所に四十八体のお地蔵さんが届けられた。これらの事に依り長く続いた幽霊話もなくなった。


津波は時速100120km
地震が来たら素早く近くの高台へ


 町民ガイドもようやく半年になろうとしている。関東や関西の方々も来られる。お一人から、夏休みを利用しての家族連れの方、40名以上の団体客等様々である。特に伝える事は、津波は時速100kmから120kmの速さで押し寄せるので、地震が来たら素早く近くの高台に避難する事を力説した。
 「おおきな地震が来たら戻らず高台へ」。安渡地区の高校生が考えた碑が津波到達地点に建立された。この地方には食品加工場が来年1月に完成する。町では10月中旬から毎日50台ものトラックが嵩上げに使う土を運んでいる。役場の復興計画案も町民の代表らにより煮詰まって来ている。いよいよ来春から工事が始まる。数年後、新しくなった大槌をまた訪れると約束してくれたお客さん達にも復興の槌音が届いている事と思う。


(平成25年11月)


 


住民まちづくり文化祭(ゲストスピーカー安倍昭恵さん(右)と古舘さん(左)を囲んで)
住民まちづくり文化祭(ゲストスピーカー安倍昭恵さん(右)と古舘さん(左)を囲んで)


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住民まちづくり文化祭(同じテーブルの人達と(左側上が古舘さん))


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復活薪まつりin吉里吉里(左側2番目リーダー芳賀さん)

04
復活薪まつりin吉里吉里(特製ピザづくり(ピザまきも)一番左リーダー)