まちがいありません。
これは私がプレゼントした服です…
町の外科医の看護士の娘から電話が入って津波警報を知り「すぐ帰るから」と答え、私は早めに港に戻り、海苔工場に立ち寄ってから、歩いて避難所に向かいました。
帰りを心配した娘は私と逆に車で港に向かいました。入れ違いになったのです。その時、津波が港を襲い、娘は流されてしまいました。
しばらくの間、娘の行方は分からず、隣り町に設けられた遺体安置所に3月20日から運行された送迎バスで妻と二人で2度ほど行きました。
遺体は、顔も体も白い布でぐるぐる巻きにされていて、顔も体も見ることができません。身体の特徴・男女の区別・推定年齢などの表示があり、身に着けていた衣服が柩に添えられていて、それだけで判別しなければなりません。
若い女性の遺体は少ないのですが、添えられている服は、いずれも親の私達にはまったく見覚えのない衣服ばかりでした。
行方の分からぬ娘の心配と避難所暮しのストレスから、妻は脳梗塞で倒れ、救急車で病院に運ばれました。
実は娘には婚約者がいました。思い余った私は彼を呼び、3度目に一緒に遺体安置所に行きました。
柩に添えられた服を見た彼は、涙を浮かべ、声をふり絞って言いました。
「まちがいありません。これは私がプレゼントした服です…」
娘の遺体が仮設住宅の我が家に帰ってきたのは6月10日の事でした。
あの時、「帰る」と言わなければよかったんだ、と毎日後悔しています。
(平成25年10月)