(五)白骨の山
貝塚のやうに、高くつみ上げられた白骨の山の前に、太い柱がたつて居た。それには、『大震災横死者霊位追資塔』と書かれ、向つて左手の所に仏教聯合会の提灯をつるして、二三の僧が鐘をたたきお経を上げてゐる。
塚のうしろには、棟をとらずに、片方にのみ葺き下したトタン屋根の小屋がぐるりと建ち並んで、その中には人々の骨が一杯につまれて居る。前つらの所には、こぼれ出ない為に、丁度石炭でも貯へるやうに、二三枚の横板が堰の如くに腰程に打ちつけられ、上には眞中をしぼつて黒幕がつるしてあつて、何々方面の焼死者といふ札がついて居る。『お骨は御ゑんりよなく御持ち下さい、両国回向院』といふ札が立つて居て、形ばかりの骨箱も用意されて居る。折から小雨の降る中を、老人と孫娘、弟らしい洋服の青年、さしツこを着た鳶のもの――などが、手に手に花を持つて、骨の前にうやうやしく礼拝して居た。一人は息子夫婦を失つたのだらう、一人は大切な兄を失つたのであらう……まゐる人もまゐられる人も、死と生とこそ異なつて居るが、同じく天変を呪つて居やう。塚の裾は、生花の束で埋められてゐる。いろいろの秋の野の花の色があまりに大きな事実の前に、に眼しみるやうに紅かつた。