(三)本所被服廠跡
――我も我もと家財雑ぐをもち運び、西本願寺の門前におろしおきて休みける処に、辻風おびたゞしく吹きて、当寺の本堂より初めて、数ケ所の寺々同時にどつと焼けたち、山の如く積みあげたる道ぐに火もえ付しかば集まりゐたりし諸人あはてふためき命をたすからんとて井のもとに飛入溝の中に逃げ入ける程に、下なるは水におぼれ中なるは友におされ、上なるは火に焼かれこゝにて死すもの四百五十余人なり――
「むさしあぶみ」にかうあるが、本所被服廠跡で、一時に三万数千人の命を奪つたものは、全くこの旋風のなした業である。大火の恐ろしさは、四方火にかこまれた空地に起る旋風と飛び火とで、現に被服廠のその夜のさまは、多くの人々が熱風火焔の渦巻の中に、吹き上げられ、吹きまはされ、その中の一人は遠く四里をへだつる市川の田甫の中に落されて、今市川病院の寝台に、被服廠々々々と口走つて居るといふはなしである。猶恐ろしい事は当夜九死の中に一生を得た人の実話に、荷物を満載した大八車が高く電線の上に燃えながらのせられて居たさうである。こんな風に大自然は、私共の想像を超越して偉大な仕事を事もなくどしどしと片づけて行く。
人間の考への及ぶかぎりで、ここばかりは大丈夫と、多くの命をゆだねた所に、思ひがけぬ死の手がせめよせて来た時に、人々はどんなに、あわて、さわぎ、悶えた事であらう?今はもう黒焦になつて、永久に沈黙を続けて居るが、死の一瞬間前までの心の中を考へると、私は身うちがふるへるやうな、恐ろしさをしみじみと感ずるのだ。