火災原因調査シリーズの題材としては、少し異質な内容です。トラッキングの発生や木材の局所的な高温状態を調べるのに、焼きした柱や梁、電源基板やプラグの刃間がグラファイト化していないか、テスターを使用して抵抗値を計りますが、実際に、トラッキングがどのように発生し、グラファイト化していくのか、デジタルマイクロスコープで観察した経過をご紹介します。
1 研究の目的
「トラッキングが発生する際の微小火花(以下「シンチレーション」という。)は高温度であり、合成樹脂上で発生すれば、その痕跡は焼き痕となるから、その焼き痕の軌跡を追えば、グラファイトの発生の過程がわかるかもしれない。」という単純な発想から、その一つ一つの痕跡をデジタルマイクロスコープで観察し、その軌跡を追い、実態としてトラッキングの発生状況を究明していく。
トラッキングの発生は、グラファイト化につながるが、細かなトラックがどのような軌跡で、グラファイト化するのか、その成長過程を解明する。
2 実験の方法等
- (1)実験の方法
合成樹脂上に塩水を垂らし、AC100V、60Hz、1Aの電流をその間に流してトラッキングを発生させる。
今回は、生成過程を観察するため、塩水の量や経過時間は測定していない。電極間にあっては、電源プラグの刃間の距離12㎜とした。 -
図1 実験の方法
- (2)トラッキング文様の観察及び撮影
トラッキングの状況、グラファイト化発生状況をデジタルマイクロスコープで観察し、撮影する。 - (3)合成樹脂試料
- ア フェノール樹脂
- イ 塩化ビニル樹脂
3 フェノール樹脂でのグラファイト生成
グラファイト化の実験等で使用するフェノール樹脂は、容易にグラファイト化するため、この樹脂を使ってグラファイト化生成を観察することにした。
- (1)初期トラッキングの発生
滴下した水分がある範囲内で、しかも水分が蒸発する瞬間に、トラッキングが発生する。発生箇所は、電極間の最短距離ではない電極から遠い箇所で発生することもあり規則性はあまり見られないが、発生密度は、両電極近傍で高くなっている。 - (2)初期グラファイトの生成
両電極間に発生したシンチレーションは、初期のグラファイトを形成するが、その文様は樹木のように見える。幹があって、枝が四方八方に伸び、その枝から小枝が出ているような文様に見える。(この文様をタコの脚が伸びていくような樹木文様を「オクトツリー」と名づける。写真1) -
写真1
シンチレーションの発生と初期のオクトツリー - (3)初期オクトツリーの成長
この文様は、枝も幹も周囲に成長していくが、着実に他方の電極に向かっており、やがて太い幹が両電極間においてつながりグラファイト化(太い幹状では抵抗値0Ωを測定した。)が完成する。(写真2) -
写真2 グラファイト化の完成
- (4)樹脂表面文様の影響
デジタルマイクロスコープで樹脂表面を見ていると、表面に細かな樹脂特有の文様があることがわかる。
オクトツリー文様はこの樹脂の表面の文様、ミクロ的な樹脂表面の粗さに関係して文様を形作っているのではないか?という疑義があったため、故意に電極間に傷をつけたり、サンドペーパーで表面をこすったりしたが、オクトツリーの成長にほとんど影響は見られなかった。(実験詳細省略)
4 フェノール樹脂でのグラファイト生成過程
- (1)初期オクトツリーの生成
シンチレーションは、電極間の至るところで発生、オクトツリーは他極に向かって成長を続ける。(写真3)枝の周辺をさらに拡大して観察すると、周辺ではさらなる枝が発生する準備ができている。(写真4) -
写真3 初期オクトツリー
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写真4 写真3左側の拡大
- (2)オクトツリーの成長
両電極間の2つのツリー間で、シンチレーションの発生が活発になり、細かな枝が多数発生し、ツリーが成長していく。(写真5及び写真6) -
写真5 オクトツリーの成長
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写真6 写真5左側の拡大
- (3)グラファイトの完成
中間の枝が手を結び、一瞬にしてグラファイトが完成する。(写真7及び写真8) -
写真7 グラファイト化の瞬間
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写真8 写真7の拡大
5 塩化ビニル樹脂でのグラファイト生成過程
電源プラグの材料でもある塩化ビニルを使用して、フェノール樹脂と同様の実験を行い、トラッキングの発生やグラファイト化の生成を観察した。
- (1)初期トラッキング(写真9、10及び写真11)
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写真9 電極点の状態
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写真10 左側電極点拡大
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写真11 右側電極点拡大
- (2)初期オクトツリー
初期のオクトツリーは発生しない。電極点付近で溶融し、炭化していくような状況である。しかも表面的なものではなく、深く溶け込んでいくような様相である。
オクトツリーは結局50滴の水分滴下の状態で、確認ができなかった。 - (3)焼き痕の伝播
電極間において、垂直方向に焼き痕が幾筋も見られる。その焼き痕は、電極近傍に起こり、他の電極へと伝播していく。この伝播は、オクトツリーの状況ではなく、極めてゆっくりではあるが、波紋が広がっていくように、電極間に文様が刻まれていく。(この文様を「オクトリップル」と名づける。)(写真12) -
写真12 オクトリップル
- オクトリップルは、波動状に多極に向かって進んでいる。また、このオクトリップルはグラファイト化しているようには見えず、文様として見られるだけで、初期のオクトリップルの色合いから見れば、溶融し、変色しているという様相であるものの、後期では、グラファイト化の予備軍のようにみえる。(写真13)
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写真13 オクトリップルの発生
- (4)オクトリップルの進行
リップルが数本、両電極間に発生した状態において、両電極間では細かなトラックが多数発生している状態が確認される。
やがて、中間位置でオクトリップルが成長、炭化状態となり、グラファイト化される。
初期のオクトリップルは、その成長と共に外観的には濃いオクトリップルとなっていく。(写真14)
このオクトリップルは、両電極間において、複数見られていた初期のオクトリップルの成長系であることは、その位置から判断できるが、この文様が波紋状であることから、両極間で連携する要素とはなっていない。 -
写真14 オクトリップルの進行
- (5)オクトリップルの成長(写真15、16)
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写真15 オクトリップルの成長
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写真16 さらなる成長
- (6)電極間におけるグラファイト化
両電極間のグラファイト化は瞬間的なものではなく、オクトリップルが重なり合った状態で、全体的にグラファイト化が完成する様であり、フェノール樹脂の場合と様相がかなり異なっている。
テスターで測定した結果、電極間ではなく、極近傍で抵抗値が0Ωであり、グラファイト化が認められた。 -
写真17 両極間におけるグラファイト化
6 まとめ
熱硬化性樹脂であるフェノール樹脂上で故意にトラッキングを発生させた場合、樹脂表面で成長過程がかなり明確に見られ、電極間のグラファイト化は一瞬にして生成される。しかしながら、熱可塑性樹脂である塩化ビニル樹脂の場合は、一転して、生成過程が異なる。
グラファイト化しにくい材料としてユリア樹脂があり、鑑識の現場においてもABS樹脂のグラファイト化が見られる現状からも、まだまだグラファイト形成には謎が多いようである。