激震襲来 神戸(兵庫)平成7年8月
4月の異動で着任した東灘区も、阪神大震災では大きな被害を受けていた。長田区と比べ焼損面積こそ少ないが、死者は1,461名と市内で最多、又家屋の損壊も多い。
29名の署員で消防車4台と救急車3台の警備力では、その限界を遙かに超えた震災であった。そんな時、150名の消防団は心強い存在である。しかし、彼らも又被災者である。家屋損壊は団員の3分の2に達し、家族の死亡も8名を数えた。でも彼等は黙々と消火に救出に、そして避難者の救援に活躍した。ここ本山西分団の車庫も全壊したが、火の見櫓は夏空に凛と立っている。