1.広島市安佐南区東原3丁目
町内会が1999年に再建したもの。ステンレス製で中国新聞に紹介された。付近は市街化が進むが,川が多く,水害に見舞われる危険を火の見櫓が知らせてきたという。本来の機能が失われた時代での再建は,火の見櫓がいかに地域防災のシンボルであるかを物語る。小さな半鐘もついている。
2.安芸郡海田町上市
3階建ての町役場の上に立つ。半鐘もついて,間違いなく火の見櫓。たいへんな高さである。海田町は山陽道(西国街道)の宿場町で,この敷地はかつて本陣のあったところの向かい側。付近には当時を思わせる商家などが現存する。
3.三原市幸崎町能地(宇和島)
瀬戸内の明るい海沿いの集落に立つ火の見櫓。写真の背後に少しだけ瀬戸内海と島が見える。海の安全を守る神社の鳥居と一緒に立っている。鳥居は海の方を向いて,火の見櫓は集落の方を見て。
4.三原市八幡町美生
三原市付近では,旧山陽道は海沿いではなく山間の道を通る。その旧山陽道に立つ火の見櫓。見張台も半鐘も櫓の真上ではなく,中心からはずれた微妙なバランスがおもしろい。
5.御調郡御調町神
出雲街道の要衝であった御調の町で見つけた櫓。足下近くに「昭和五年 十二月建之」のプレートが見える。そのさび具合から見て,現存の櫓と同時につけられたものと見てよいだろう。戦前の,それも昭和初年の鉄骨製の櫓が,はっきりとした建設年とともにあることは非常に珍しい。さびて半鐘もないが,たいへん貴重。
6.甲奴郡上下町上下
上下町は江戸時代は天領で,石見銀山などからの物資が「上下」する町であった。
明治時代に警察署がつくられ,その屋根に火の見櫓が据えられた。田山花袋は「備後の山中」でその印象を記している。今でも街並みが往事を伝える。