〔其ノ拾八〕“大鯰江戸の賑い”の話

〔其ノ拾八〕“大鯰江戸の賑い”の話

 

安政大地震は江戸府内に、かつてない大災害として歴史にその名を残す地震であった。現在のように科学の発達していない時代の庶民は、この地震は鯰が引起したものだと古い言伝えを信じていた。
このような大災害の後に起きた、社会現象として見逃すことのできない断面は、財産もなく家は借家の職人達のような階層が、大地震に驚き命からがら逃げのび、幸いに助かって周りを見廻してみたら、その翌日から家作りを始める武家屋敷や、出入りのお店からの迎えという、考えてもみなかった仕事がころがりこんで来た。
更に、町の復興の速度が早まると、大工などは引っぱりだこで、手間賃はあがるし、待遇は比較にならない程よくなるし、金廻りもよくなってみれば、その原因はあの大地震のお蔭だと気が付くには、大して手間はかからなかった。
この地震景気の人々に目をつけた瓦版屋が、こんな格好の題材はないというわけで、ありとあらゆる面白い話を題材にした地震鯰繪を売出し、それがたちまち売切れとなり、作っても作っても売れたという。
日頃持ちつけない程の金を持った職人達は、自分達の潜在意識を掘起してくれたような図柄だけに、次々と色々な鯰繪を買った。作る方も次第にエスカレートして、益々面白おかしくして多様化したもので、これが現在所蔵されている鯰繪が、全く他の分類の瓦版とは、比較にならない数になっていることでもうなづけよう。
この鯰繪は、それがエスカレートした最たるもので、鯰を鯨に見立てゝ登場させ、これが潮を吹き上げると小判がふってくるという構図で、品川沖に入って来た大鯰を庶民が大喜びで迎えているというものだが、こゝまでくると、さすがに奉行所などは、災害対策に追われているのに、こんな景気のよい話が一方で流れていては、当局の威信にかゝわるとして、取締りに乗出すのも、当然の処置ではあったろう。
せりふは、鯨が捕えられると、七里という広い範囲の漁村が、大きな利益をもたらしたといわれているが、この鯨に鯰を引っかけたもので、鯰が動いて四里四方というのは、江戸府内をさしたものである。このような比喩語で、特定の地名を現わす方法は、この時代の史料の一大特長であって、作者がこれによって責をのがれようとしたものである。
さて、この鯰が江戸府内で動いたことが、職人達の腕をふるわせ、金廻りが良くなったことを表現して、銭車(ぜにぐるま)が廻りよくなったと、三つの動詞を引っかけているところなども、江戸時代の物の例えの絶妙な点である。
そして、この地震が貧しい者にも富めるものにも、総てに正斧を下したなどといっているが、作者の意図は、こゝらにあるのでなく、富める者の花を散らした、という散財を強調することにより、富の再配分を鯰がしてくれた、という貧者の潜在意識をくすぐり、この鯰繪を売らんとした意図が、はっきりと読みとることができる。このように見てくると、鯰繪の殆んどが、貧しい社会の底辺の庶民に、大量に売られたのも容易にうなづけるし、現在においても、沢山所蔵されている理由もわかろうというものである。
品川沖に来た大鯨に扮した鯰が、潮を吹きあげると、これが小判となって江戸市中にふりそゝぎ、庶民が大いにうるおったという譬話は、手前側で、うかれて大鯨に扮した大鯰を大歓迎する人々の口をかりて、読者である庶民の潜在意識を代弁している。
このように、何所にも当局を批判したような文字や図柄が見当らないのに、町奉行が目を光らせたのは、題材が余りにも極端でお話ができ過ぎており、庶民対策に見るべきもののなかった当局の癇にさわったゝめであろう。政治に対する不満を、このような形に置き替え、鯨や鯰の方が、自分達にこんな大きな恩恵を与えてくれるという痛烈な社会諷刺、政治批判が読みとれる。