この地震鯰繪は〔其の拾四〕の続きともいえるもので、職人達の吉原繰込みの景気のよい話の、其ノ二ともいえるものである。 吉原に繰込んだ職人達は、懐が温かく女郎を総揚げして、大工、左官、屋根屋が江戸弁で洒落のやりとりをしているところで、酒の回りも既に最高潮に達し、早く女を抱きてえとうそぶいている様が画きだされている。 日頃、余りパッとしない左官屋が、酒の勢いを借りて、何人でも女をつれてこいといい、良い女を所望する表現として、自分の仕事が壁塗りだからといって、何も壁によりかゝっているような売れ残りじゃなく、飛切り上等の女をよこせと威勢のよいところをみせている。 また、屋根屋に向って、何時も高い所で仕事をしているだけあって“お高くとまっているねぇ”と皮肉くれば、屋根屋の方も上機嫌で、自分の仕事にひっかけて、洒落て答えている。 一方大工は、細工場(女と寝る布団を意味する)へ早くしけこんでしまえてえといえば、ほかの職人が、そんなに早く女を抱かなくてもいゝじゃねえかとからかうなど、浮かれた職人達のやりとりで、地震のお陰で、職人達がどんなに懐が温かくなるかを、表現しようとしているのがこの地震鯰繪の見所である。 これとは全く対照的に、日頃からこれらの職人に金を貸している、大家か金貸しらしい男が渋い顔をして、地震で貸した金が動かないが、なんとか動く工夫はないものかと云わせ、地震による庶民の明暗を強調している。これ等の話のやりとりによって、その落ちは職人達に、女郎屋で浮かれているので“ゑんま”だの“地蔵”だのと縁起の悪いことをいうな、こゝはたのしい仮宅(遊廓の仮営業所)だぞ、とうそぶかせ、束の間の楽しみに浮世の苦しみを、忘れさせようという作者の配慮が浮彫りにされ、それがこの地震鯰繪がよく売れたという要因になっているわけである。この地震鯰繪の社会的な存在理由もまたそこにある。 |