大地震に見舞われて、大儲けをする人々は、材木屋、大工、左官などの職人であることは、これまでの地震鯰繪で見てきたが、この絵は、それを更に強く表現した構図の地震鯰繪である。 地震鯰に筆を振わせて、色々に揮毫させている設定で、これを大儲けの人々が囲んで、鯰の書いた揮毫に有難がっている。大儲けの筆頭は、なんといっても材木屋であったことがこの絵でも表現され、看板と大福帳を脇に材木屋の旦那が腕組みしており、さながら胴元のような格好である。 これを、表現する洒落として、鯰が揮毫の筆をふるうとして、地震の“震”を“ふるう”と読替させ、洒落れた題名をつけている。 職人達の言葉のやりとりを見ても、鯰が腕をふるっている揮毫を有難がっている図で、左官屋などは、鯰が書いた「鹿島太神宮」の揮毫を、一生掛け物として家に掲げると有難がり、大工は観音様の五重の塔の頭が、傾いているものを書いてもらい、他の者は万歳楽の“楽”の字を揮毫してもらって、後世に残す有難いものとして、頂戴しますという構図である。地震鯰に“筆”をもたして擬人化している点が、この地震鯰繪の見所であろう。 また、障子には地震で命を失った、沢山の亡者を影絵風に画き、地震の守り神の鹿島太神宮の御札と、“雷”を画いたお札は、完全に無視される場所におかれ、地震によってお蔭をこうむる大儲けをする人々を画くことにより“世直し”という江戸庶民の、潜在的な自我意識を強調した地震鯰繪として、鑑賞することが、この絵の見所であるといえよう。 |