この“鯰繪”は、鹿島神宮の神様が生捕った三匹の鯰を、地震の度に儲かる大工、鳶職、左官、屋根屋、露天商の五人が、なんとか助けてやってくれと懇願している設定で構成された“鯰繪“である。 三匹の鯰というのは、安政大地震を現わす鯰を中心に、弘化四年(一八四七)の信州大地震-善光寺大地震-を右側に、嘉永六年(一八五三)の関東大地震-小田原城崩壊-を左側に画いて、これまでの三度の大地震を、三匹の鯰に置きかえて画いたもので面白い。 鹿島神宮の神様が、生捕りにした三匹の鯰に縄をかけ、江戸屋という蒲焼屋に連行したところを画き、それに対する五人の職人達の掛合いが面白く語られている。 大工は、地震鯰のお蔭で日当が壹分も貰えて、好きなものを腹一杯呑んだり、食べたりできるのだから、重ね重ねおわびするから、この鯰を預けてくれと懇願すれば……。 鳶職は、“こんなこと”というのは地震のことで、女の所へ遊びに行けるのも、地震のお蔭だといゝ、これを受けて、屋根屋には、好きな“米の水”という酒が呑めるようになる地震は、命の親だと言わしている。 野師といわれる露天商人などは、もっと地震のお蔭を強調して、“五本や六本のおあし”というのは、一文銭を千枚で一貫文というが、地震が来れば、五貫文や六貫文は朝の内に稼いでしまうとうそぶいている。 これらの職人達が、交わる交わる地震のお蔭だからと鹿島神宮の神様に、お許しを願っているが、神様は断固としてこれを許さず、今後再びこのような地震が起きないために、“なべ焼き”にしろと命じて幕となるという設定で、鹿島神宮の神様と職人達という凡そ縁のない連中を、このようなやりとりで構成し、地震というものが、このような庶民に潜在的にある“世直し”を期待する意識を、このような鯰繪を借りて表現しようとしている点に、この地震鯰繪の見所があるといえよう。 このような見方で、上の読下し文を読んでみると誠に興味深いものがある。 |