この鯰繪は、他の鯰繪と全く異質の構図のもので、女親鯰と二匹の子鯰で臆病鯰の一家を表現し、地震となって襲いかゝったものゝ気の弱い親子鯰が、威勢のいゝ黒い半纏を着た蒲焼屋の職人に“蒲焼きにして食べてしまうぞ”とおどかされ、子鯰は人間の子供にいじめられているという設定で、他の鯰繪にその類を見ない図柄のものである。 倒れた行燈(あんどん)に「卯(う)(安政二年)十月二日夜、昔はなし」とあるところから推定して、この鯰繪は、地震の直後に発売されたものでなく、或る年月を経て売出されたものと思う。というのは、あの恐ろしかった安政大地震も、少し年月がたつと恐怖がうすれ、この絵の構図のように、地震の原因の鯰をこらしめる話に何時しか置替えられて仕舞う。 人のうわさも七十五日式の江戸ッ子に、受けようとした作者の商魂から、このような地震鯰を茶化した手法で、図柄にしたものであると思われる。 この鯰繪のお話は、侍や金持、女郎、座頭などが地震鯰に襲いかかられ、あわてふためいて逃げている点は、他の鯰繪に見られる地震で大損をする人々を表現しているが、画かれた人相に危険感が全くなく、むしろおどけて画かれており、女郎と寝ていた座頭が、褌の端が女郎の足にからまったのを、目の見えないかなしさで、地震鯰に押えられたとでも錯覚したように画かれているなどなにかしら茶化した図柄になっている。 しかも、臆病鯰とみた蒲焼屋や威勢のいゝ若い者が、旗をさし出して地震鯰の子供をとり押えようとし、子鯰はなんとか逃げようとしている。さらに右下では、地震鯰の子供が、町の男の子(着物から可成りの金持ちの家の子)に父ちゃんの足をよくも梁にはさみやがったなと打ちのめされて、平あやまりにあやまっている。それを見かねた職人の子供が、父親が地震で大いに儲けさせてもらった恩義があるので、なんとかかんべんしてやってくれと金持の子の手を押えているが、このへんにも地震鯰による明暗を画きわけ、恐ろしかったあの大地震に対する、潜在的な怨みを反動的な意図で、この鯰繪にまとめているのが、この絵の見所であろう。 地震鯰繪に出てくる「雷」は、この絵のように必ず片隅で小さくなり、ひまそうに「キセル」をくわえて、地震鯰のやつ、中々やるじゃねえかと、恐しいものの代表の一つの雷も、地震にはかなわないという意味で、片隅に画がかれている。 この鯰繪の主役は“臆病鯰親子”と中心に画かれた蒲焼屋とにより、地震から或る年月をたって、人々が地震の恐怖をこのような絵柄によって茶化したお話を設定したところに、この鯰繪の面白さを、見出すことができよう。 |