〔其の七〕「雨には困り□(ます)野じゅくしばらくのそとね」

〔其の七〕「雨には困り□(ます)野じゅくしばらくのそとね」

 

鯰が大地震を起すということは、古くから民話や昔話の中に出てくるが、鯰が地震と極めて深い関係にあることは、近代科学の発達した現代でも、各方面で様々な研究が、続けられていることからも知ることができる。
この大地震を起す鯰を、茨城県鹿島に鎮座する鹿島太神宮が、“要石(かなめいし)”を用いて押えつけ、地震を鎮(しず)める、という人々によく知られた俗信を“鯰繪“にしたものが、この絵と次の二点の“要石”の絵柄である。
安政大地震後に、大量に出廻った“鯰繪“は、鹿島太神宮が剣をもって“要石”と共に、鯰を押えつけるというこの種の図柄のもので、沢山の人々が入手し、これを読み、また家内安全の守り札として、家々に貼られたという。
鹿島神社の要石は、現在も神社の境内にあり、先端が地表に出ていて、下部ははるか地底に埋まっており、大地の底で暴れる大鯰の頭と尾を、押えつけているといわれているもので、その正体は、古い神社ならば必ずある神霊の宿る「影向石(ようごいし)」である。特に、鹿島信仰は古来、兵乱を予知するご託宣の力が名高く、歴代幕府の将軍や武家の尊崇を集めていた。これが何時しか、“要石”をもって地底で暴れる鯰を、鹿島太神宮の霊験で鎮め、大地震を起させないという願が普及を早めたものであった。
この“鯰繪“は、題名からして洒落れている。地震によって、しばらくの外寝を芝居の「暫(しばらく)」に洒落て、「暫」の看板マークを「ます」と読ませ、雨には困りますと洒落ている。また、「市中三畳」は三升に通じ、雨が三升も降ってぬれて困ることを洒落ている。
芝居のせりふも、歌舞伎十八番中の「暫」になぞらえ、鹿島太神宮を芝居の主役に当て、“要石”で大鯰のにくらしい顔をした坊主を、押えつけている図柄が画かれている。
記された文は、芝居のせりふよろしく、極めて語呂が良く、芝居調に安政大地震の様子を記してあるのが面白い。
地震の度毎に焼けて、芝居興行に支障をきたしたことから、「暫」の主役が、鹿島太神宮の身内の磐石太郎礎(ばんじゃくたろういしずえ)と名乗って、要石で大鯰に模した坊主役者を、懲らしめているところであり、語呂も調子よく書かれているので、芝居のせりふよろしく読下しを楽しんでみてはどうだろうか。
この絵の中にも、芝居というものを通じて、江戸庶民の生活がよく現わされているといえよう。