〔其ノ五〕吉例「暫(しばらく)」の話

〔其ノ五〕吉例「暫(しばらく)」の話

 

この鯰繪は、歌舞伎十八番の内の「暫」を構図にしたもので、これを擬人化して芝居の役者に仕立て、誰でも知っている恐しいものの代表、地震、雷、火事の三役を登場させ、芝居のせりふで安政大地震を表現しようとしている。
この鯰繪の最大の見所は、歌舞伎十八番の内の、「暫」という構図は、誰しもが知っている身近かなものであり、「地震、雷、火事、親父」の諺も同様で、その二つの身近かな話題を図柄に利用した点であろう。江戸時代の庶民は、なんでも身近かにあるものを利用して、何かを物語ろうとする点に長じていたことを物語る、典型的な例である。また、こゝでも鯰繪の買手であるお客様の親父は、ごく温和な隠居といったような表情で端に画いて顔を立て、売行に差支えないようにしようとした作者の配慮が画面に出ている。
歌舞伎十八番の内
吉例「暫」
役者「暫」 火事
立廻 地震鯰、雷
「地震、雷、火事、親父」という恐いものゝ代表を歌舞伎役者に見立て、「暫」の擬人化された立役者の火事が、“いろは四十八組”の火消達を後立てに頼んできて、地震、雷、に向かって、芝居のせりふで押えこもうという舞台仕立である。その「暫」の火事が、地震と雷に向かって、そこを動くことは相ならぬ、一寸(ちょっと)でも動くと鹿島太神宮の神様も見ているぞ、愛宕神社の神様の御託宣によれば、地震さえなければ、江戸は大いに繁昌して万歳楽、泰平楽の世になるが、こんどの安政地震により、三十二、三個所の火事を起したのも地震のためと、地震鯰をきめつけ、火事自身の責任でないことを歌舞伎のせりふ調で表現している。
この鯰繪の場香hu雷」は、完全に脇役であることなどを考えながら、記入された文字を読んでみるのも一興であろうと思う。