〔其ノ参〕「太平安心之為」の話

〔其ノ参〕「太平安心之為」の話

この鯰繪は、昔からの地震の歴史を記録的に記し、この度の安政大地震の惨状を報道的に扱って、中心に地震のもとゝされている鯰を、押さえることのできる鹿島太神宮を画き(脇に軍配が置いてある)、女郎と地震鯰達とのやりとりを“お白洲”(裁判)のような設定で画いている。
地震鯰達が鹿島太神宮に平身低頭している構図により、作者は左上に「さむはら」と呪(まじない)を書いて、この鯰繪を“お札”として懐中に持ったり家の中に貼っておけば、地震のときに安全のお守りになるという意図で画かれたものである。
この鯰繪の見所は、あくまで中心に鹿島太神宮を画くことにより、お札の役割を果そうとしたもので、鹿島信仰の庶民感情に訴えたところにあるといえよう。
また、女郎に、“張りと意気地がさと(遊廓)のならいだ”といわせて、このたびの大地震で梁(はり)の下敷になったという家屋の“梁”と気持の上の“張”を引っかけて洒落れさせ、もう一人の女郎は、私は鰻は好きだが、鯰を見ると“身ぶるい”がするといって、地震を嫌う“身ぶるい”と、地震の振動による“ふるい”を引っかけて洒落れたものであり、吉原の遊女の口をかりて、地震の恐怖を鹿島太神宮に訴えさせている。
これに対して鹿島太神宮は、お前達鯰共は、おれの領分を騒がせて許せない。蒲焼にでもしてやるが、蒲焼には香の物がつきものであろう。地震、雷、火事、親父の恐ろしいものゝ代表を、“雷の香の物”といわせ、江戸庶民の食生活を、洒落て引っかけた言廻しで鹿島太神宮に言わせている。
さすがに、地震鯰達も鹿島太神宮には恐れ入って、平身低頭した図柄で表現し、地震と自身をひっかけてあいまいに逃げを打ってはいるが、どう言訳をしてもこの図柄は、鹿島太神宮の神通力の効果を、あげるための役割を果たしており、洒落とも合わせてこの鯰繪のもう一つの見所になっている。
この三つ巴のやりとりを見るにつけ、地震と鯰との関係と、鹿島信仰というものに、江戸の庶民がこんな考え方をもっていたのかという思い、またどんな時でも洒落を忘れない、江戸時代の庶民の心情を、うかがい知ることができる面白い鯰繪ではないか。