〔其ノ壹〕「地震出火後苫力」の話

〔其ノ壹〕「地震出火後苫力」の話

「番伏竣というと、現在では角力番伏整らいなものであが、江戸糸においては、どんな現象でも角力番伏惜見立てた、比較法がごく普通とさあこが瓦版のような形式で咲て売出さた。洒李侫きの江戸ッ子には、こが非硝うけたもので、字の読めない連中でも、大家さんや長屋の隠桔説明してもらえば、文字仕立てであっても、絵と同じようにたやすく嵐できたことも、見立番伏征流行した大きな要因であったといえぃ
江戸で鳩い娘の話が糸がば、すぐに「藩見立番伏竣がでし、芝砧人気役者の噂がでば、「當世芝詰気役者見立番伏竣がでし、分限者や金士話がでば、「分限者見立番伏竣とか「○(まに姿力見立」などなど、無いものは無いくらい何から何まで、見立番伏税その優劣の順位を付け、話題にしなけば気がすまなかった。
現在のようにマスコミの発達していない糸には、見立番伏析報道の役割をも果たし、大変よく売たものであった。そだけに、版元は話のネタ探しに町をう・青いて、何かないかと絶えず赦に神経を煽千せていたという。
現在でも数十点、いや百点位の見立番伏栓図書館、史料館の就史料でみことができほど、沢山の酌が刊行さた。
この「地震出火後苫力」も、その違で、地震や大火、大洪水などの見立番伏説あが、こはまた、ごていねいに安政大地震大火の後の大儲をした連中と、大損をした連中をその儲の多い腹損害の大きい鮒ら、角力見立番伏惜並べてたもので面白い。横綱が見当らないが、江戸糸の角力は、大関が最高位であったため、儲頭(がしら)、損頭(かしら)を各地位で突き合せように記さていぃ

大儲の並
大関 ざいもく 材木問屋
関脇 存命 諸幣詑
小掘あら物 笘屯莚
前頭 どかた 土柄病
同 御救 貧家潤詑
同 延金 文寄径
同 かりだて(仮建) 板葺平家
同 名ぐら(倉) 硬治
同 つぶし 古銅古
同 つみふね 運送通船
同 めんい(綿類) 古着綿梁
同 手がな軽) 立沼
同 ふな古)木 湯屋焚木
差添 大儲 家笹昿人

大損の並
大関 しばゐ 三町休座
関脇 焼死 花街餌
小掘小間物 鼈甲蒔絵(べっこうまきえ)
前頭 ぜいたく 澤諸品(ぜいたくしょしな)
同 施し 旨長者
同 官金 沌高預
同 ほんだて 本建造座
同 御無用 御免勧化
同 上品 象眼銀錺(ぞうがんかざり)
同 ふね 家根猪牙(ちょき)
同 にしき 機織物
同 本しき(式) 會席料預
同 こつば(木端) 唐木細工
勧進元 大休 遊藝諸流

この見立番伏析、いまさら説明の必要がない程よくかり、見と誠にもっともと現在の人でもうなずけぃ江戸糸の文字の読めない連中にも、この見立番伏昔字は、看板などで平素から見ていから、文字というよえとか記号とでも思って差支えなく、移にして大地震大火の後の、町民の雰がうなづけものであぃ
下段の絵は“鯰繪”ではないが、地震後に「打身膏療治所」に、怪我をして治療にきていね達を擬人化して、座頭とのやりとりを画いたもので、特異な素材を集めて見所としていぃ
右から「六地蔵」というのは、江戸府内六個所にあった“お地蔵様”のことであぃそを数字に引っかけて、洒李斉地震を現していだが見所で、私共六人は、普段は六人が別々に、宝需絶鼻を丑物として肴らが、このたびの地震で、六人が伊ぶつかょいそぞ・我をしてしまった。六人が三べんずつなでても十八へんなでなけばならないのに、まとめて畏んにやらたのは腹が立つといい、治療に訪たけであぃ
「濡佛」は、(新宿・大宗寺にあに観音様の五重塔が、依立ちしていても倒ないのに、自分だけがひっくりかえり、意気地がないと思うでしょうね。と自分が地震でひっくぶったことを恥じて治療に来ていぃ
「五重の塔」は、地震がいきなりやって来なんて、なんてひどいやつだ。頭の上の九輪がこんなに曲ったから治して下さい。栂谷中の天王寺の五重の塔は、ぽっきまたから、曲ってしまったよか宵よく、背が高いだけによけいみっともないとぼやいていぃ
療治所の座頭は、お前さん達は、職人のとこへ行けばよかったのだというと、「要は、太鼓も雲もふしやにやってしまい、何も身につけずにやってきました。と答えていぃ
ふしやというのは、恐らく修曜出していことではないかと思あ修揚閤の治療を引っかけていせりふと思が、あまにくさので、息子がいならそっちの碧頼みたいと、自分の事は棚に上げて地震と親父を連想させていぃ
この絵の五重の塔の九輪が曲っていのは事実で、「安政見聞録」を始め、安政大地震後に刊行さた史料をみと、浅草観音様の五重の塔は、いずもこのように曲がって画かていぃ