昭和50年代の消防
(4)救急
救急業務が消防の任務として法制化されたのは昭和38年のことである。法制化された当初は214市町村で実施されたにすぎないが、昭和49年には2,429市町村と10年間にその数は飛躍的に増大し、さらに昭和59年においては2,987市町村にのぼり、いよいよ救急業務は充実の時を迎えたのである。
救急出場件数においても昭和49年中は141万9,771件であり、約22秒に1回の割合で出場したことになるが、昭和59年中は225万5,113件となり、14.0秒に1回の割合で救急隊が出場した計算になる。こうした救急業務の需要の高まりに救急医療体制の整備がついていかず、ことに休日夜間における医療確保が困難であったため、昭和50年前後の一時期にはいわゆる“タライ回し”といわれる状況に陥った。しかし、急速な救急医療体制の整備促進によって、そうした環境も改善されるに至った。昭和59年における救急業務実施市町村は、全市町村3,256の91.7%にあたり、全人口の98.5%が常時救急サービスを受けられることとなった。
また、昭和50年度から消防組織法第10条に基づき、消防本部及び消防署を置かなければならない市町村は、救急業務を行わなければならないとされたが、これは実質、消防本部及び消防署を置く市町村は救急業務を実施できる体制にあったこと、これらの市町村は現実にすべて救急業務を実施していたこと等が考慮されたものであった。