9.昭和50年代の消防

(3)予防

昭和50年代の消防

(3)予防

 消防庁は、消防法の定めるところにより、百貨店、ホテル、病院、地下街等、一定の防火対象物の管理について権原を有する者に対して、防火管理者を選任し、それぞれの防火対象物の実態に即した消防計画の作成、これに基づく消火・通報・避難の訓練の実施、消防用設備等の点検整備、火気の使用又は取扱いに関する監督等、防火管理上必要な業務を行わせることを義務づけて防火対象物の防火安全の確保を図ってきた。
 しかしながら、昭和55年11月に発生した栃木県川治プリンスホテル火災や昭和57年2月に発生したホテル・ニュージャパン火災を契機として、昭和56年度から多数の者が利用する特定の防火対象物を対象として、一定の防火基準に適合する施設には「適マーク」を交付し、措置命令に従わない違反対象物はその旨を公表する「表示・公表制度」を発足させ、昭和58年度からは同制度を劇場や百貨店等にも拡大することとした。

「適マーク」全国一斉実施(昭和56年5月15日)

(「自治体消防四十年の歩み」より)

 その一方で、予防行政が消防用設備等のいわゆるハード面の整備を促進することに追われがちであったことへの反省に立ち、平素の維持管理や訓練など、一連の防火管理業務の重要性を指導するとともに、防火管理体制の不備な防火対象物については法令に基づく措置命令を発するなど、防火管理の徹底を図ることとした。
 また、昭和55年の静岡駅前ゴールデン街ガス爆発事故を教訓に、一定規模以上の地下街についてはガス漏れ火災警報設備の設置を義務づけるとともに、令別表第1の用途区分に新たに「準地下街」を追加して、地下街に準ずる防火安全対策を義務づけることとした。
 なお、昭和59年3月31日現在の全国防火対象物の数は234万7,581件、危険物施設の数は60万7,040施設で、昭和58年度中の各種防火対象物に対する査察件数は122万3,963件、危険物施設に対する立入検査数は延べ48万3,783回行われた。