9.昭和50年代の消防

(2)消防機関の状況

昭和50年代の消防

(2)消防機関の状況

 昭和49年の常備消防機関は、消防本部が848本部、消防署が1,230署、出張所が2,407所、消防職員が9万8,329人であった。常備化率は75.5%であった。昭和59年4月1日現在においては、消防本部が932本部、消防署が1,483署、出張所が3,111所、消防職員が12万8,087人、常備化率は90.9%となり、人口の98.4%がカバーされるに至った。この10年間において消防本部は84、消防署は253、出張所は704、消防職員は2万9,758人と、それぞれ増設増員が図られ充実ぶりを示している。また、常備率も格段に向上した。
 常備消防機関の消防機械について昭和49年当時と比較すると、すべてにわたって増加しているが、なかでも災害の多様化、大型化に対応して水槽付消防ポンプ自動車、はしご付消防ポンプ自動車、化学消防自動車の整備が著しい。昭和50年代においては、昭和40年代には数少なかった救助工作車、ヘリコプターが新たに整備されるとともに、昭和50年1月から消防本部及び消防署の設置を義務づけられた市町村は、同時に救急業務を行うことが義務づけられたことに伴い、救急自動車の保有台数が大幅に伸びた。ちなみに昭和49年当時の消防本部・署の救急自動車保有台数は2,601台であったが、昭和59年には4,227台と約1.6倍の増加である。

昭和58年 小型特殊ポンプ車(Sキャプ)

狭隘道路対策用に製作された小型タンク車
(「大阪市消防五十年の歩み」より)

昭和58年 自走放水砲付化学車

(「大阪市消防五十年の歩み」より)

 消防団は、昭和49年当時、3,682団、113万1,723人であったが、昭和59年4月1日現在では3,658団、104万2,463人となった。この10年間で24団の減少、人員は8万9,260人の減少である。消防の常備化が推進されたこと、若者の消防団離れが減少の主な原因である。消防団における消防機械力をみると、地域に密着した消防団の特性をより徹底させる整備が推進され、普通消防ポンプ自動車数は昭和49年当時からほぼ横ばいの状況であるが、その分、機動力に優れた小型動力ポンプ自動車の整備が著しい。