昭和30年代の消防
(4)予防
昭和30年代になると、危険物に起因する火災が全火災件数の約20%を占めるようになり、社会生活、経済生活の進展に伴い、以後ますます増加することが予測された。当時、危険物の規制については、消防法で特に一章を設けて規定していたが、その実施細目についてはすべて市町村の条例にゆだねていた。しかし、条例未制定の市町村が全市町村の3分の1にも及び、当然これらの市町村では危険物行政は事実上空白の状態であった。こうした不備を解消すべく、消防法の改正を行い全国統一的な危険物の規制に関する政令を定め、昭和34年9月から施行されることとなった。これにより製造所、貯蔵所、取扱所の許可及び完成検査が義務づけられ、危険物の貯蔵、取扱い及び運搬に関する規定も定められ、新たに危険物取扱主任制度が設けられた。
また、劇場、飲食店、映画館、旅館、学校、病院等の火災により、多数の犠牲者を生じていることから、昭和35年に消防法を改正し、これら施設においては用途及び規模に応じ政令の定める基準に従って、消火設備、警報設備、避難設備などの、消防用設備等を設置しなければならないこととした。
昭和33年当時の予防査察
(「自治体消防四十年の歩み」より)
さらに、従来の防火責任者制度を防火管理者制度に改め、防火管理者を置かなければならない建物の種類及び規模を広げるとともに、防火管理者の果たすべき仕事を拡大して火災予防につなげていくこととした。
なお、昭和38年には、それまで任意であった消防用機械器具等の検定を義務制とし、新たに日本消防検定協会を設立し、検定業務は消防研究所から同協会へと移行した。