7.昭和30年代の消防

(3)消防機関の状況

昭和30年代の消防

(3)消防機関の状況

 火災発生件数は、昭和30年には2万9,947件と辛うじて3万件を切っていたが、翌31年に3万3,312件と3万件を突破し、しばらく横ばいのような状態が続いたが、昭和35年に一気に4万3,679件と急増し、さらに4年後の昭和39年には5万9,020件と、昭和30年代の最高発生件数を記録した。
 昭和29年(2万7,870件)と昭和39年を比較すると、火災発生件数はじつに111.8%の増加率であった。
 昭和29年の常設消防機関の消防力は、消防本部が328本部、消防署が423署、出張所が638所、消防職員は3万493人であった。それから10年後の昭和39年には、消防本部が544本部、消防署が641署、出張所が996所、消防職員は4万5,357人となっている。10年間で消防本部は216本部(65.9%)、消防署は218署(51.5%)、出張所は358所(56.1%)の増加であり、消防職員は1万4,864人の増員(48.7%)であったが、急増する火災に対抗するにはまだ十分とはいえない消防力であった。
 消防団については、昭和29年は9,337団、202万3,011人であったが、昭和39年には3,835団、141万3,285人と大幅に減少した。この10年間で5,502団(58.9%)、60万9,726人(30.1%)の減少である。消防団の再編が主な理由である。
 消防機械力については、昭和29年と比較し昭和39年では、消防ポンプ自動車4,476台(54.0%)、水槽付消防ポンプ自動車486台(58.6%)、小型動力ポンプ3万5,178台(273%)、その他の消防自動車(照明車、破壊車、シートカー、排煙車等)426台(95.9%)、救急自動車289台(328%)のほか、昭和29年には未整備だった化学消防車が72台整備されるなど、充実ぶりは目覚ましい。

昭和30年代のポンプ車

(「やさしい消防のはなし」より)

昭和32年 タレットカー牽引車

ロープウェイ車を改良した牽引車
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

昭和33年 OS-25型放水塔車

自動油圧式、最高伸長15.5m、三角断面塔
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

昭和33年 OS-24型救出車

担架、呼吸器、その他救出資器材を多数積載
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

昭和33年頃の高能車集合写真

この写真は、すべて自治体消防発足後の10年間に製作された車両で、当時は高能車と呼ばれた。
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

昭和35年 OS-32型スノーケル車

日本初のスノーケル車、高さ15m
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

昭和38年 耐水ポンプ車

水深1.2mまで走行が可能、港署に配置
(「大阪市消防五十年のあゆみ」より)

 同様に消防水利をみると、10年間で消火栓27万8,925基(130%)、防火栓1,419基(29.2%)、貯水槽1万4,257基(10.0%)増設されている。
 昭和30年代において注目すべきは、新たに消防力の基準の見直しがなされたことである。自治体消防を建前とするわが国の消防制度においては、各市町村とも消防任務を十分に果たすため、消防庁で制定し勧告した「常設消防力の基準」及び「消防団の設置及び運営基準」に基づき、可能な限り組織、施設その他の総合的消防力の強化に努めてきた。昭和30年代の半ばにおいては、これらの基準は、わが国の社会情勢にそぐわない面も表出してきたため、消防庁は、消防審議会の答申に基づき、消防力の基準の再検討を行い、昭和36年8月に従来の基準を一本化し、実情に即した新たな「消防力の基準」を制定した。
 これに伴い各市町村は、新しい基準に基づき、自市町村の消防力についての再検討を行い、さらに一層の整備充実に努めることとした。なお、消防施設の整備拡充に際しては、国は「消防施設強化促進法」及び「国の補助の対象となる消防施設を定める政令」を制定し、市町村の施設(消防ポンプ自動車、手引動力ポンプ、小型動力ポンプ、火災報知機、消防専用電話、防火水槽)等の整備拡充に必要な経費の3分の1を補助することとし、市町村の財政負担の軽減を図った。