昭和20年代の消防
(2)消防制度
昭和23年消防組織法が制定され、従来の官治消防から自治消防へと生まれ変わった。国家消防庁が発足し、国家地方警察本部と並んで内閣総理大臣の所轄下にある国家公安委員会の下に置かれたが、行政整理の影響で、その陣容は長官以下133人という小世帯であった。国家消防庁の所掌事務としては、次の事項が定められた。
- a.消防に関する市街地の等級化に関する事項
- b.消防準則の研究及び立案に関する事項
- c.防火査察(放火及び失火犯の捜査を含む)制度の確立に関する事項
- d.放火及び失火犯の捜査技術の研究並びに捜査員の訓練に関する事項
- e.消防操法訓練の基準の研究及び立案に関する事項
- f.消防技術に関する火災予防及び出版に関する事項
- g.消防統計及び消防情報に関する事項
- h.消防指導員の養成に関する事項
- i.消防設備及び機械器具の検定に関する事項
- j.消防に関する試験研究に関する事項
a.b.i.j.の事務は、各種の試験、研究、消防器具等の検定等を専門的に行う機関として開設された消防研究所が受け持ち、残りは管理局が受け持った。さらに、d.e.に基づき、捜査員の訓練及び消防指導員を養成するため管理局の下に教養課を設置し、そのもとに昭和23年4月7日消防講習所を創設した。同年6月、指導者養成科(後の本科)と火災原因調査科(後の予防科)の2科を開講し、さらに昭和26年8月1日には管理局教養課の所属より離れ、内部的に独立した機構として、翌27年より教習教科を充実して本科、予防科、機関科、団長科、研修科のほか自衛消防の教習を行った。その後、昭和34年4月1日消防大学校が設立され、消防講習所は発展的解消をした。
国家消防庁発足(昭和23年3月7日)
写真は発足当時の消防講習所
(「自治体消防四十年の歩み」より)
さて、制定された消防組織法及び消防法は、昭和20年代において消防組織法は3回、消防法は2回改正している。より国情に即した法律とするための改正であった。改正の内容をそれぞれ簡略に記しておくことにする。
<消防組織法>
昭和23年7月24日改正
・消防団令を廃止し、消防団についても消防組織法で規定した。
昭和26年3月13日改正
・市町村の消防機関の全部又は一部を義務設置
・消防団員の公務災害補償に関する規定の新設
・非常勤の消防団長、団員の公職立候補の制限を解除
昭和27年7月31日改正
・国家消防庁を国家消防本部に改称
・都道府県における消防に関する事務の規定を新設
<消防法>
昭和25年5月17日改正
・消防団の立入検査権
・危険物の数量の法制化
・火災原因調査に関する規定の整備
昭和27年8月1日改正
・消防協力者に対する損害補償制度の新設
このようにみていくと、新生消防は義務や権限といった堅苦しいことばかりが表立ってしまうが、新生消防が真にめざすところはこうしたことから派生しがちな威圧、取締まりといった方法により予防行政を推進していくのでなく、地域住民とコミュニケーションを図り、一体となって災害に強いまちづくりを推進していこうというものであった。
全国の市町村消防の中には、創意工夫を凝らした独自の予防活動を実践し、地域住民に親しまれる消防として、他の消防機関の模範となるような事例も登場するようになったのである。一例をあげると、鹿児島県の某市の消防当局では当時、火災予防の一方法として官庁、学校、団体等で会議、講演会、父兄会、映画鑑賞会、演芸会等を開く場合、あらかじめ消防に届出てもらえば、散会後の火災予防は消防が責任をもって行う消防サービスを実施したのである。このことによって消防は、この種の用に供せられる建物にありがちな予防上の不備を把握し、改善を促進することができ、一方の住民はそうしたサービスを実施してくれる消防に対して、それまでにない親しみと敬意を表してくれたのであった。これこそが新生消防のめざす姿であった。