5.自治体消防制度の創設

(1)自治体消防制度の創設

自治体消防制度の創設

 昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えた。そして同月30日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木基地に降り立ち、9月2日にミズーリー号上で降伏文書調印式を行うと、同月17日からは接収した日比谷の第一生命ビルに連合国軍総司令部(GHQ)を置き、以来、昭和27年4月28日、サンフランシスコ対日平和条約、日米安全保障条約が発効するまで、日本民主化のための占領政策の指令がここから発効されることとなる。
 昭和20年9月22日、アメリカ政府は「初期の対日方針」を発表し、日本政府に対し秘密警察の解消、諸法令の改廃、警察組織改革を要求し、これを受けて日本政府は「憲法改正草案要綱」及び「警察制度改革草案要綱」を定めて改革に着手したが、根本的には戦前の制度と大差なく、総司令部が容認するものではなかった。
 このころ、総司令部公安課長ハリー・E・プリアム大佐は、アメリカから元ニューヨーク市警察局長ルイス・J・バレンタインを団長とする都市警察改革企画団、及びミシガン州警察部長オスカー・G・オランダーを委員長とするオスカー地方警察企画委員会の二つの調査団を招き、わが国の警察制度の改革に関する調査を行わせた。数か月の調査を終えた両調査団は、プリアム大佐に報告書を提出し、両者はその中で消防を警察から分離すべきことを強く勧告した。
 わが国の消防は、明治以来、警察機構の中に包含されており、火災が発生したら消火にあたるのがその任務とされており、それ以上のことはない。火の後に消防がある、いわゆる消極消防であった。バレンタイン報告書の消防に関する部分には、こう記されている。

 消防部は、警察部から完全に分離し、これを都市当局の独立の一部となすこと。この消防部の職務は防火に関する法律の執行、鎮火、疑わしい火災の調査、揮発性、火炎性及び爆発性物品の輸送及び貯蔵の監督、有志からなる消防組の統制を行なうこと。

 この報告書が契機となって、政府は昭和21年10月11日、警察制度の改革に関しての調査審議を行うために「警察制度審議会」を設置し、時の大村内務大臣から警察制度の改革に関する4項目が諮問された。諮問第4には、「消防制度を改善し、その機能を強化するには如何なる方策をとるべきか、その要綱を示されたい。」とされ、同審議会は4度にわたる調査審議を行い、同年12月23日、大村大臣に次のように答申した。

 その他、役割に応じた手当ての額、消火活動中に万一死亡した場合や負傷した場合における扶助定則(今日の公務災害補償にあたる)等、細かく規定されている。ここに江戸消防から脱皮して、消防の近代化を図るべく、その方向づけが示された。

  • a.消防機能の強化充実を図るため消防は警察と分離し、市町村に担当させること。ただし、現在の官設消防は、都道府県又は大都市に委譲してこれを強化すること。
  • b.中央及び地方に消防行政に関する部局を設けて消防行政機構を整備強化すること。中央に消防技術の向上、消防機械、資材の改善、検定、火災予防の科学的研究等を目途とする消防研究所を設置すること。
  • c.市町村消防の設備、定員等に対する一定の基準を設けてこれを保持することに努めること。
  • d.都道府県、市町村消防の相互応援についての義務の方法を定めること。
  • e.防火思想の普及向上、消防施策の研究、各地方消防の全国的連絡、消防関係諸施設との連絡、その他消防活動の強力化に資するため全国的規模の団体を設けること。
  • f.消防職員の待遇を改善し、その素質を向上せしめるため、次の方途を講ずること。
    (1)~(3)省略
  • g.火災予防に関する措置として、次の方途を講ずること。
    (1)建築の許可には、消防機関も関与するようにすること。
    (2)~(4)省略
  • h.警防団を解散し、新たに消防団(仮称)を設けること。
    (1)~(3)省略

 昭和22年に入るとすぐ、内務省警保局は、警察制度審議会の答申を実現すべく研究を重ね、警察法案の作成に着手し、新警察制度の実現に努めたが、審議会の答申ないし警保局の考え方と総司令部の意見は幾つかの点で隔たりがあり、同年1月末になっても調整はつかなかった。また、消防制度に関しても同年1月15日、警保局に消防課を設置したほかは何の進展もなかった。
 政府は、警察制度及び消防制度の改革を地方自治制度の改革と同時に実施したい考えであったが、折衝が難航したため、日本国憲法及び地方自治法が施行になった昭和22年5月3日までに成案を得ることはできなかった。
 その後、警察法案の立案は、何ら具体化することなく無為に日ばかりがすぎていった。その原因は、総司令部内において民問情報局公安課と民生局の間で、警察制度の改革について意見の対立があったからである。片山内閣は、両者の中間を取った折衷案を作成し、同年9月3日、これをマッカーサー元帥あてに提出すると、同月16日にマッカーサー元帥から片山内閣あての書簡で、警察制度改革に関する最高方針が下された。覚書の基本的方針は、警察を地方分権化し、人口5,000人以上の市町に自治体警察を設置させること、及び警察は警察本来の犯罪捜査等に専心し、その他の行政事務は、あげて他の各省に委譲し、かつできるだけ地方自治体をして所掌せしめること等であった。これに基づいて9月27日、「警察立法に関する件」の覚書が政府に通知されたことに伴い、消防は警察から完全に分離して独立することとなったのである。
 昭和22年12月23日、消防組織法(法律第226号)が公布され、翌23年3月7日から施行された。ここに消防は、市町村がその責任においてすべて管理する自治体消防へ移行し、それに際して新生消防は、予防行政という新しい使命を担うこことなった。