昭和期(昭和10年代まで)の消防
水槽付ポンプ車
この時期にも消防ポンプ自動車については改良が加えられたが、なかでも特筆すべきは、水槽付ポンプ車の登場である。
昭和初期のポンプ車
(「やさしい消防のはなし」より)
水槽付ポンプ車は、昭和8年12月高輪消防署(旧・御田消防署。新築された際、名称変更した)の新庁舎落成に併せて、同署改築後援会から寄贈されたのが始まりである。寄贈に際しては、ポンプ製造メーカーである日本自動車会社の協力により、同社がアメリカのリパブリック社製の車体を使い、これにタービンポンプと250ガロンの(1t)の水槽を取りつけ製作してくれたものである。
この時の水槽付ポンプ車の性能は、2口の放水を備え、2インチ(50mm)の放水用ホース10本と、給水用2インチ4分の3(70mm)ホース数本を積載したものであった。50mmホースのため一人で筒先を保持できる長所があり、吸管も備えてあって場合によっては普通のポンプ車同様、自然水利も使用できた。毎分の放水量は筒先1口で80ガロン(303リットル)、水槽の分だけで1口で3分、2口で1分半の防御が可能であり、その間に付近の消火栓から給水することができた。
水槽付ポンプ車の利点は、水利に関係なく火点に直行してただちに消火活動に就くことができる点である。それまで水利が不便なため、ホースを延長している間に延焼拡大する火災が多かった点を補完する役目を果たした。また、救助用はしご、救助袋、人命救助用具を積載していたので、援護注水を受けて敏速に人命救助を行うことができた。
水槽付きポンプ車(昭和14年ごろ)
(「東京の消防百年の歩み」より)