4.昭和期(昭和10年代まで)の消防

(2)消防制度

昭和期(昭和10年代まで)の消防

公設消防の増加

 昭和時代に入り、都市への人口集中により都市の火災発生危険が高まり、また国際情勢の変転、非常時局の切迫、国防上の重要都市の消防体制の強化を図る目的で、次に示す各都市に順次、東京と同じ公設消防署が設置されていった。

  • a.<昭和15年12月>川崎市、小倉市、門司市、八幡市、若松市、戸畑市
  • b.<昭和16年9月>堺市、布施市、吹田市、尼崎市、西宮市
  • c.<昭和17年12月>横須賀市、長崎市、佐世保市、広島市、呉市、下関市、福岡市
  • d.<昭和18年7月>新潟市、大牟田市、函館市、室蘭市、舞鶴市、立川市、八王子市、武蔵野市
  • e.<昭和19年3月>川口市、札幌市、小樽市、宇部市

 この結果、戦時中における公設消防署設置都市は36都市に及び、人員も増大して総数3万人を超えるに至ったが、太平洋戦争の終結に伴い、すべて平時体制へ切り替えられ、消防も1万人近い人員整理(行政整理)が行われた。しかし、各府県とも比較的戦災を受けない近接都市を知事の職権で消防署管轄区域に編入させ、新消防制度発足までに消防署設置都市の数は57都市に増大した。
 戦後、自治体消防制度の発足により、特設消防署制度は廃止され、消防組織法に基づく新たな消防署が各市町村に設置されることとなる。

警防団の設置

 大正12年(1923)の関東大震災によって未曾有の被害をもたらされた東京府及び東京市であったが、時代は昭和になると、どうにかその痛手からも立ち直った。
 昭和5年、関東大震災の教訓から東京府と東京市は、警視庁、東京警備司令部、東京憲兵隊と合同で、震災や空襲に対処するための市民の自衛組織「防護団」を設立することとし、「東京非常変災要務規約」を制定し、昭和5年9月1日に施行した。
 防護団は、警護班、警報班、防火班など9班からなり、防火班は火災時に消防職員を援助することを目的とした。編成は、区、町村単位とし、区内にあっては東京市長を団長とする連合防護団を編成した。
 東京で誕生した防護団は、やがて全国に普及していき、昭和12年の日華事変勃発を契機に一層高まりを見せ、全国で団員は400万人を数えるに至った。しかし、防護団は法令に基づくものではなく、市町村長によって任意に設置される団体であり、地方ではほとんど消防組が兼務していた。
 こうしたことから昭和12年防空法制定を機に統一することとなり、内務省は防護団と消防組関係者の調整をはかり、昭和14年1月25日勅令第20号をもって「警防団令」を公布し、同年4月1日から施行した。これにより、江戸町火消の伝統を受け継いできた消防組はここに消滅し、以後、防護団と合体して新たに民間防空群の主軸として警防団の発足をみたのである。

警防団の任務説明ポスター

(「東京の消防百年の歩み」より)